クリスペプラーの先祖は明智光秀!家系図に坂本龍馬の名前も?

天性の知力と交渉力を武器に権力者たちから見いだされ、ついには戦国時代きってのカリスマ・織田信長に仕え『明智光秀』

2020年NHK大河ドラマで俳優・長谷川博己さんが演じられることでも話題の“今一番注目度の高い戦国時代の人物”といっても過言ではないと言えますね。

 

出生から謎のベールに包まれているとされる明智光秀ですが、「家系図や子孫についての史料にはどんなものがあるのか」を知らない人がほとんどだと思います。

一体どんなものが存在するのか、気になりますよね?

 

さらに現在、明智光秀の子孫として血を受け継ぐ方はどんな人がいるのでしょうか。

今回は現在活躍している著名人から坂本龍馬など歴史上の人物についても幅広くリサーチしてきますよ!

 

明智光秀の家系図が存在した?

まず明智光秀の子孫について正確な家系図などは存在しないとされています。

明智光秀が本能寺の変を起こした後豊臣秀吉との戦いに敗れたことで、豊臣秀吉が血眼になって明智光秀の子孫を葬ろうとしたことに起因します。

子孫とばれてしまっては周りの人間にまで危害が及ぶため、家督を継ぐ男の子のみに口伝えで伝承されてきたとされるケースすらあるほどのトップシークレットだったのです。

当然明智という姓を名乗ることはなく、日陰の存在としてひっそり暮らしていたと推測されます。

 

江戸時代になり明智光秀の評価が好転すると、今度は「我こそは明智光秀の子孫」と名乗り出るものも少なからずいたようで、そのころ明智光秀の系図なるものが世に出るようになりました。

 

それが現在まで残っていることもあるようですが、これは当然子孫や血縁関係を決定づけるだけの信憑性には欠けます。

信憑性が高いと考えられているものがあっても、正誤混濁している場合が多いので慎重な証明が必要なんですね。

そもそも自身の出生についてもはっきりしていないことで知られる明智光秀ですが、子供の数についても史料によってバラつきがあるくらいなんですね。

 

だからこそ子孫を調べる手立てとしては複数の史料に名前が残っている、確実に存在したであろう子孫をたどる方法が一般的に行われています。

そして状況証拠を積み重ねて確実性を上げていく形が歴史研究家の中で行われているわけなんですね。

 

 

明智光秀の子孫が凄すぎる!現在も活躍中の芸能人まで?

知将と言われた明智光秀は皇族や有名武将・権力者にも顔が効き人脈が広かったことで知られています。

時は戦国の乱世。今より家柄を考えた婚姻をしていた時代となれば、当然子供たちの婚姻関係も華々しかったことが期待できますよね。

 

では、私たちとともに現代まで生きている、明智光秀の子孫の方はどなたなんでしょう?

今回は特に私たち一般人でもテレビなどのメディアを通して知っている“著名人に焦点を当てて、ご紹介していきます。

 

明智光秀の子孫説1:クリス・ペプラー

タレント・ラジオDJとして還暦を迎えた今でも活躍している、クリス・ペプラー氏。

父はドイツ系アメリカ人、母は日本人というハーフのタレントさんですが、幼少期に母方の祖母から明智光秀の末裔だと聞かされ育ったとのこと。

 

その真偽を確かめるべく、2016年11月21日放送『7時にあいましょう(TBS系)』で検証が行われました。

番組では自身も明智光秀の末裔であることを公言する歴史研究家・明智憲三郎さんのもとを訪ね、出来る限りの検証を行いました。

 

そして下記の点からクリス・ペプラー氏は明智光秀の末裔である可能性が極めて高いという結論が出ました。

[box02 title=”ここにタイトルを入力”]明智光秀の末裔と判断された根拠

①クリス・ペプラー氏の祖母の名字である土岐は鎌倉時代から続く名家であり、明智光秀は土岐の一族であること

クリス・ペプラー氏の母方の墓にある家紋を確認したところ、土岐桔梗であったこと

クリス・ペプラー氏の家系と土岐の家系を菩薩時で過去帳で照らし合わせると、土岐頼芸の直系の子孫であると判断されたこと

土岐頼芸の息子・土岐頼次の次男である土岐頼勝が養子かつ明智光秀の実子である可能性を指摘しており、その仮説通りであればクリス・ペプラー氏は明智光秀の家系であると考えたこと

[/box02]

以上4点に加え、クリス・ペプラー氏の祖母が“鎌倉時代から続く名家の血筋”という情報に加えて、“明智光秀の末裔”という情報をわざわざ口伝えで伝承したところに信憑性を感じるという主旨のコメントをしていました。

 

また番組関係者によると、日本家系図学会からも明智光秀の子孫とみて間違いないというコメントがあったとのことです。

2020年NHK大河ドラマ『麒麟が来る』の主人公は明智光秀ですが、それに因み明智光秀ゆかりの地である福知山の特別大使にクリス・ペプラー氏が就任しています。

こうして歴史は繋がっていくかと思うと、思わず興奮してしまいますね。

 

 

明智光秀の子孫説2:細川護熙

新聞記者・熊本県知事・参議院議員・衆議院議員と華々しいキャリアを積み重ね、第79代内閣総理大臣に任命された細川護熙氏。

陶芸家・日本画家としての顔を持つ多彩な人としても知られている人物ですが、細川護熙氏も明智光秀の子孫という仮説が存在します。

 

これはもともと細川護熙氏が第18代熊本藩主にあたる人物であることに起因します。

初代熊本藩主は父・細川忠興、母・細川ガラシャ(明智光秀の娘・玉)の三男である細川忠利です。

ここから血縁関係で繋がれているのではないかという仮説だったんですね。

 

しかし、この仮説は信憑性がかなり低いとされています。

というのも第7代熊本藩主細川治年までは明智光秀の血を受け継いでいますが、細川治年は養子を迎え入れたことが分かっているのです。

この時点で細川本家で明智光秀の血を受け継ぐものは途絶えてしまいました。

 

つまり、細川護熙氏が明智光秀の子孫である可能性としてはかなり低いと言えます。

別の説には細川護熙氏の祖母・細川博子氏が明智光秀の子孫という説もありますが、こちらも可能性は低いとされています。

 

この仮説が成立するためには「仙台藩第5第藩主・伊達吉村の正室とされる冬姫が光秀の子孫である」という条件をクリアしなければなりません。

冬姫の父・久我通名の正室は西園寺公望の娘であり明智光秀の血を引く人物ですが、冬姫の母は父の側室・松向殿であったとする説が定説のため状況としては厳しいと言えるでしょう。

 

つまり、2019年現在の時点では細川護熙氏が明智光秀の血を受け継いでいるという仮説を証明できるだけの論拠には乏しいと言わざるを得ませんが、遠戚である可能性は極めて高いと考えられます。

 

内閣総理大臣の職に就くまでは由緒正しき家柄にふさわしいエリート街道をひた走ってきた細川護熙氏ですが、首相としては1年と持ちませんでした。

佐川急便不正融資問題が発覚したためです。

1994年2月8日に問題の解決を図ることなく首相を辞任し、その後政界も引退してしまったのです。

 

その姿を見た有権者は、「あんたも三日天下か。」とぼやいたとか。

そんな部分は継承しなくてよかったとみんなが思った瞬間でしたね。

 

明智光秀の子孫説3:細川隆元、細川隆一郎

1900年熊本県生まれの細川隆元氏は朝日新聞社の新聞記者で、政治部長やニューヨーク支局長を歴任したエリート社員でした。

退社後は政界に進出し1947年には衆議院議員を1期つとめ、その後はずばりとした物言いが茶の間から人気の政治評論家になりました。

 

また、その甥である細川隆一郎氏は熊本県出身、毎日新聞社の新聞記者でした。

「日本政治への提言」を連載されており、新聞協会賞を受賞したこともあるこちらもエリート社員です。

 

退社後はそのキャリアを活かし、叔父同様の毒舌でお茶の間を沸かせる政治評論家として活躍されていました。

まさに華麗なる一族である2人ですが、明智光秀の子孫である可能性が高いと言われています。

具体的には細川忠興と明智光秀の三女・細川ガラシャの長男・細川忠隆の子孫であると言われています。

 

現在、細川隆一郎氏の娘・細川珠生氏はジャーナリストとして父の背中を追いながら、明智光秀に関する著書を出版されています。

その中で「明智光秀は織田信長の悪行に耐えかねて本能寺の変を起こした」という主旨の教えを代々引き継いできたと語られており、細川家に伝わる家系図の存在なども含めかなり有力な説であると考えられます。

 

明智光秀の子孫説4:坂本龍馬

幕末の乱世を広い視野と行動力で変革へと導いたとされる坂本龍馬ですが、実は明智光秀の子孫だったのではないかとする説があります。

明智光秀の娘婿・明智秀満の存在がこの仮説の鍵になっています。

 

宣教師フロイスの著書『日本史』で豊臣秀吉が坂本城に到着すると大勢のものが逃げ出した後で、明智秀満が明智光秀の死の報を受け妻子を殺害し自身も土佐・坂本城で自害をしたとされています。

 

明智光秀の末裔である明智憲三郎氏はこのフロイスの著書について

「明智の残党狩りを必死で豊臣秀吉が行っていたにも関らず、その後の記録に明智光秀の子孫が処刑された記録が一切ない」

という点から、明智秀満が子孫を逃がしたのではないかと推測しています。

 

 

そして土佐・坂本城から逃げ延びた子孫が坂本龍馬まで行きついたのではないかという仮説ですね。

明智光秀の家紋と坂本龍馬の家紋がともに『桔梗紋』であることからこの仮説が広がりました。

この説については創作の世界でよく見られる説ですが、信憑性があまりありません。

というのも、確かな史料が坂本家に存在するわけでもなく、この説の発端となった文研は明治時代の伝記小説であるところからの可能性としては低いと考えます。

 

明智光秀の子孫説5:今上天皇

1989年平成という時代のおとずれとともに天皇に即位された、今上(きんじょう)天皇。

災害や不況に傷つく国民に寄り添い、皇室のあり方を模索されていたお姿が記憶に残っている方が多いのではないでしょうか。

明智光秀の血筋は実は皇族にも受け継がれているという説があります。

しかも、明智光秀の血を受け継いでいる可能性を示す血脈は1つではないことから、可能性が極めて高いと言われています。

 

1つ目の系図として、細川忠興と明智光秀の三女・細川ガラシャの長男・細川忠隆の血を受け継いでいる可能性が極めて高いとされているのです。

 

細川忠隆の娘で西園寺家に嫁いだ徳姫の子孫の血が、広幡家を経由して後に生まれた正親町雅子が孝明天皇の母となり今上天皇まで受け継がれたと考えるルートです。

細川忠隆の妻・千代姫は戦国大名である前田利家の娘なので、このルートが仮に事実だとするならば今上天皇は明智光秀のみならず前田利家の血も受け継いでいることになります。

 

また2つ目の血脈として、細川ガラシャの娘・多羅をキーマンとする系図があります。

多羅と明智光秀の重臣・稲葉一鉄夫妻の子孫である稲葉恒通が娘を公家の勧修寺家に嫁がせます。

 

その子である勧修寺経逸の娘・勧修寺婧子(かんじゅうじただこ)が光格天皇の典待(いわゆる側室)となり、任孝天皇を産みます。

正親町雅子任孝天皇の間に孝明天皇が産まれることで、1つ目の系図と2つ目の系図が重なり両者から明智光秀の血筋を受け継いでいるという説も出来上がるわけですね。

2つの系図の正否については完全に明智光秀の子孫であると断定するほどまではいきませんが、かなりの確率で可能性があると言って差し支えないのではないでしょうか。

 

私個人としては日本史の授業で時の権力者が華族や皇族に娘を嫁がせることを習った時には「血なんて気にしない一般庶民にはぴんと来ない話だな。」と正直思いましたが、こうやって現代まで脈々と受け継がれていくものがあると分かると感慨深いものを感じます。

 

明智光秀の末裔たちが祖先に負けない活躍をしていることを知ったら、明智光秀もきっと誇らしく思っていることでしょうね。



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