明智光秀の家紋(桔梗紋)の意味・由来が深い!色にも秘密が?

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主役と言えば、明智光秀ですね。

明智光秀に限らず、戦国時代を舞台とする大河ドラマの戦国武将たちを見ていると、紋付や鎧甲冑、居城など、様々なところで家紋を目にします。

 

そして、明智光秀の家紋にも一つ一つしっかりとした意味がこめられていることをご存知ですか?

家紋の意味を知ると、その家柄や他の一族との関係など、より掘り下げた歴史の見方ができますよ。

今回は2020年大河ドラマの主役、明智光秀の家紋についてご紹介していきます。

 

明智光秀の家紋(桔梗紋)の意味や由来とは?

 

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明智光秀の家紋と言えば、桔梗紋(ききょうもん)です。

中央の丸から花弁が5枚、均等に広がった花の家紋です。

名前のとおり、桔梗の花を象っているんですね。

 

ベースとなる桔梗の花だけが象られた桔梗紋に、さらに変形を加えたり、描き足したり、他の家紋と掛け合わせるなどして、さまざまな種類の桔梗紋があります。

 

明智光秀が使っていたのは、花弁や真ん中の丸に部分を白抜きにして黒で縁取った「陰桔梗」と呼ばれる桔梗紋でした。

家紋として桔梗の花が用いられるのにも、もちろん理由があります。

 

桔梗は、秋の七草のうちの一つで、古くは朝貌(あさがお)と呼ばれていました。

夏の朝に咲く朝顔とは、漢字が違いますね。

その朝貌、別名をアサトトキと言い、「岡に咲く神草」という由来を持ちます。

 

そのアサトトキが咲く土地を治めていた土岐氏が桔梗紋として使い始めたのが始まりであり、そして土岐氏の流れを組む明智光秀も桔梗紋を使うことになった、と考えられています。

 

土岐氏の武将が、合戦の際に、自分の被っている兜に桔梗の花を挿して戦ったところ、その戦に大勝利したことから桔梗紋が使われるようになったという説もあります。

 

また、古くには、桔梗の花を使って吉凶を占っていたともされています。

吉凶の読みから変化して桔梗という名になったのではないか、という説もあるのです。

 

桔梗の漢字から木偏を外すと、「吉」と「更」の漢字が残ります。

昔の人は、これを「更に吉(さらによし)」ととらえ、桔梗の花は縁起の良いものであるとも考えたとされています。

どちらにしても、桔梗という花は、自らの家運を預けるにふさわしい花だったのでしょうね。

 

 

明智光秀の家紋(桔梗紋)の色に秘密がある?

明智光秀の桔梗紋が「陰桔梗」であったことはすでにお話しましたが、実は明智光秀の桔梗紋には色がついていたのです。

それが「水色桔梗」です。

 

これも、明智光秀が使い始めたものではなく、元々は土岐氏が使っていたもので、水色の桔梗紋のことを「土岐桔梗」と呼ぶこともあります。

 

水色に染めていたことにも理由があります。

土岐氏は源氏の流れを汲む一族です。とはいえ、名前を見てもわかるとおり、源氏の嫡流(本家の血筋)というわけではありません。

そこで、嫡流が使う白を使うのは都合が悪いと考え、水色に染めた、というわけなのです。

 

 

明智光秀と土岐氏の関係性とは?

ここからは明智光秀と土岐氏の関係性について、お伝えします。

土岐氏は美濃国(現在の岐阜県南部)を治めていた名家でした。

酒呑童子退治などの話にも登場する源頼光、その子である源頼国の子孫が、美濃国に住み着いたところから、始まったとされています。

 

初代当主を誰とするかについては諸説ありますが、兜に桔梗を挿して戦ったという土岐光衡が初代である、という説が有力です。

 

美濃守護職を務めましたが、徳川氏の旗本となりたくさん存在する美濃土岐氏の傍系には大名を輩出した一族がありました。

明智光秀はその一族にあたっていました。

 

初代美濃守護職である土岐頼貞の九男にあたる長山頼基の子供、明智頼重を祖としています。

戦国時代に存在した明智定明は、内紛によって弟である定衛に殺害されてしまいました。

 

その子供である定政は、母型の祖父、菅沼定広を頼って三河設楽郡に落ち延びました。

そこで成長しましたが、奥平氏に再嫁する母親と生き別れたので、母方の叔父の養嗣子として、菅沼藤蔵と名乗って、徳川家康に仕える機会を得ました。

 

定政は徳川家康が関東に移封されたときに、下総の守谷という所で1万石を与えられ、明智姓に復して定政と名乗りました。

その後、豊臣秀吉の勧めを受けて土岐姓に復して土岐定政と改称、明智土岐氏の祖となっています。

明智光秀の祖父である頼典は、定明の父、頼明の兄にあたっています。

 

明智光秀は土岐氏の分家に生まれています。

謎が多い明智光秀ですが、享年は55歳ということだけ分かっていますが、生まれや前半生については今もって謎だらけというのが現状です。

何となく家同士が複雑な関係性があったことが、これを見てもうかがえますね。

 

日光東照宮に明智光秀の家紋(桔梗紋)が存在する?

一部に噂されていることですが、日光東照宮には明智光秀の桔梗紋があると言われています。

ちなみに日光東照宮は栃木県日光市山内にあります。

 

明智光秀の家紋は、日光東照宮の陽明門の門衛の袴の裾の部分にそれらしい紋が見えるということです。

が、しかし。

 

これは明智光秀の家紋ではなく、織田家の家紋である木瓜紋だと言われています。

桔梗紋と唐花紋は、中央の丸から花弁にかけての文様がよく似ています。

大きく違うのは、花弁の先です。桔梗紋は先が少し角のように尖っているのに対して、唐花紋は3つの丸い山のようになっています。

期待していましたが、残念ながらこれらは明智光秀の家紋ではないようですね

 

以上、ここまで明智光秀の家紋である桔梗紋を中心に、その歴史をたどってみました。

家紋1つにもこんなストーリーがあるとは驚きでしたね。

2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」でも、ぜひ家紋に注目しながら観てみてはいかがでしょうか?



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