ALSと闘う有名人&芸能人11名!佐伯チズ・坂口憲二・ヒロまで…

2020年3月23日に、美容家の佐伯チズさんが公表したことで、その名が広まったALSという病気。

度々ALSという病名は耳にしつつも、どんな病気なのか?国内ではどれだけの人が患っているのか?

いまいちよくわかりませんよね。

 

この記事では、ALSとはどんな病気なのか?ALSと闘っている有名人はどんな人がいるのか?について調べてみました。

ALSは誰でもなりうる病気ですので、この記事でしっかりALSについて理解をしておきましょう。

 

ALSとはどんな病気?筋肉が衰える原因や症状について

 

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まずは、ALSがどんな病気なのかについて書いていきます。

ALSは、Amyotrophic lateral sclerosisの略で、筋萎縮性側索硬化症のことを言います。

ALSは、脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロン(運動神経細胞)が侵される病気で、難病の一つに指定されています。2016年の統計では、日本に約9,600人の患者さんがいると考えられており、原因究明の研究が多くの研究者によって進められています。

引用元:http://www.als.gr.jp

難病と言われながらも、ALSには国内1万人近くの患者がいるということで、今は何不自由なく暮らしている私たちも、とても他人ごととは思えませんよね。

 

ALSは運動ニューロンと呼ばれる、いわゆる神経細胞が侵される病気のことで、自分の脳からの伝達通りに、手や足を動かせなくなる症状があります。

ALSで侵されるのは運動神経だけで、知覚神経や五感、知性や記憶における障害は見られないことはほとんどです。

 

つまり、触られるような感覚は感じることができても、相手に触れたりすることが上手くできないということになります。

ALSの症状は主に2つに分けられ、手足がやせ細っていくか、発音がしにくくなるのどちらかだと言われています。

 

症状が進むと、全身の筋肉が弱くなって体を動かすことはおろか、呼吸や食事もままならなくなってしまいます。

特に、呼吸筋が弱くなって呼吸困難になると、人工呼吸器が必要になることもあります。

 

ALSの症状はわかりつつありますが、肝心の原因は定かではないままです。

専門家の中では、いくつかの仮説が挙げられています。

  • グルタミン酸過剰説
  • 環境説
  • 神経栄養因子欠乏説
  • 家族性 / 遺伝性説

 

しかし、いずれも結論は出ておらず、具体的な治療法も開発されておりません。

そのため、ALSの患者に対しては、進行を遅らせる薬、手足のリハビリテーション、コミュニケーション法の習得など、治療というより、状況を緩和するものとなります。

 

ALSになった患者は、多くが呼吸筋の弱まりによる呼吸不全が原因で亡くなっています。

 

 

ALSの難病と闘う有名人&芸能人まとめ

 

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ALSが国内9600人が苦しむ難病であることはわかりましたが、実は芸能人などの有名人の中にも、ALSと闘っている人たちがいたのです。

ALSと闘う人たちについて調べることで、ALSとはどんな病気なのかという特徴や、ALSになったらどう生きていくかのヒントがわかるかもしれません。

 

ここでは、ALSになった有名人&芸能人について書いていきます。

 

ALSの難病と戦う有名人&芸能人1:佐伯チズ

 

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まずは、美容家として知られる佐伯チズさんです。

佐伯チズさんは、2020年3月23日にALSであることを公表しました。

 

その時の佐伯チズさんの様子がこちらです。

外見はいつも通りの佐伯チズさんのままですが、どこか舌足らずのような印象を受けました。

佐伯チズさんの話によると、2019年秋ごろから右足に違和感を覚え、2019年末には思うように足が動かなくなり、検査を受けたところ、ALSであることが判明しました。

 

佐伯チズさんはALSについて話す中で、

「夢は薬 諦めは毒」「私まだまだ負けないわよ」「決して諦めません」

のような、力強いメッセージを発信していました。

 

また、途中佐伯チズさんは涙で声をつまらせながらも、

「健康元気キレイはずっと私の夢ですので 皆さんに続けてほしいんです」

とファンを気遣うような一面も見せました。

 

こちらの佐伯チズさんのメッセージを見たファンの反応がこちらです。

佐伯チズさんを気遣うようなメッセージや、応援の声が多いことがわかりますね。

佐伯チズさんのように、ガッツがあり、健康に気遣うような女でも、ALSはなってしまう病気なんですね。

 

 

ALSの難病と戦う有名人&芸能人2:坂口憲二

 

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次は、俳優の坂口憲二さんです。

坂口憲二さんは硬派なイメージで大人気な俳優でしたが、実は2018年4月1日に既に芸能活動を無期限休止していたんですね。

それも、坂口憲二さんは所属していたケイダッシュステージを退社していました。

 

坂口憲二さんが芸能活動無期限休止に踏み切った理由は、特発性大腿骨頭壊死症の治療に専念するためです。

特発性大腿骨頭壊死症とは、太ももの骨の組織が壊死し、体重がかかる部分が潰れたりして痛みが生じる国指定の難病です。

歩行困難の場合は、人工関節に置き換える手術をすることもあります。

 

現在の特発性大腿骨頭壊死症の患者は、国内で2000~3000人と言われていますが、詳しい原因は明らかになっていません。

大量の飲酒や、ステロイドの大量投与が原因とも言われていますが、何の前兆もなく突発的に症状が出る人もいるようです。

 

坂口憲二さんいわく、2015年頃の治療により症状の改善は見られましたが、いつ再発または、悪化するかわからない中でセーブしながら仕事を続けることはできないということです。

 

特発性大腿骨頭壊死症は、血液循環の悪い場所のみが壊死するため、それ以外の箇所に広がり、全身が悪くなっていくわけではないようです。

そのため、症状が軽くなっていく場合もあれば、現状維持のようなこともあります。

 

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先日、坂口憲二さんの兄である、坂口征夫さんのInstagramに、元気そうな坂口憲二さんの写真がアップされていました!

 

現在の坂口憲二さんは、千葉県の九十九里を中心に、自らコーヒー豆を焙煎し、販売しているとの情報をキャッチしました!

すぐとは言わないまでも、負担の少ないお仕事から徐々に復帰してくれたら嬉しいですね。

 

 

ALSの難病と戦う有名人&芸能人3:AKB宮澤佐江

 

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次に、元AKB48の宮澤佐江さんです。

宮澤佐江さんは、AKB48を卒業後、舞台やドラマを中心に女優として活動していますが、2018年8月から2019年7月まで一時期芸能活動を休業していたことがありました。

 

しかし、宮澤佐江さんが芸能活動を休止していた理由は、女優業に悩んでいたからで、宮澤佐江さん自身がALSになったわけではありません。

宮澤佐江さんは、三浦春馬さん主演の「僕がいた時間」でALSの存在を知り、「ALSという病気を知ってもらいたい」と話している記事を見つけました。

「私に何かできるかといっても、治すこともできないし、何もできない」。でもまずは病気のことをいろいろな人に知ってもらうことが大事だと考える。「まずはALSという病気のことを知ってほしい。関係ないと思っている人が多いかもしれないけど、全然そうではないんだよと、少しでも発信していければ」。

引用元:https://headlines.yahoo.co.jp

宮澤佐江さんは、ヒロさんとの対談をきっかけに、よりALSについて深く考えるようになったみたいですね。

 

つまり、宮澤佐江さんはALSではなく、ALSについて深く関心があるというだけでした。

このように、強い影響力のある宮澤佐江さんのような方が発信することで、幅広い世代にALSを知ってもらうきっかけになるかもしれません。

 

ALSの難病と戦う有名人&芸能人4:篠沢秀夫

 

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次に、フランス文学者の篠沢秀夫さんです。

篠沢秀夫さんは、大橋巨泉さんが司会を務めていた「クイズダービー」にてレギュラー出演をしていたことでも良く知られています。

 

また、篠沢英夫さんの本業は母校の学習院大学の教授で、傍らでフランス旅行の主催や、テレビ出演、執筆活動に励んでいました。

2008年の春ころ、篠沢英夫さんが74歳の時に、突然口がもつれ始めました。

これが篠沢英夫さんにとって、初めてのALSの症状でした。

 

はじめ篠沢秀夫さんは前年のダイエットが原因で歯茎のバランスが崩れたのかと思っていましたが、耳鼻咽喉科、神経内科を続けて検査を受けても特に異常を見られませんでした。

そんなとき、篠沢秀夫さんの妻 礼子さんが見かけたのはiPS細胞で知られている、山中伸弥教授の会見でした。

 

山中伸弥教授は、会見の中で筋力が落ちて動かなくなる病気、ルー・ゲーリック病について語っていました。

当時、知名度が低かったALSですが、1920年代に活躍した大リーガーのルー・ゲーリック選手が苦しんだ病として、名前がつけられていました。

 

再度神経内科の診療を受けたところ、篠沢秀夫さんはALSという病であることが判明し、「診断結果が正しければ、助ける見込みはない」と言われたそうです。

その後、篠沢秀夫さんは一時期回復を見せながらも、徐々に伝達能力や内臓機能も弱まっていき、2017年10月26日に容体が急変し、都内の病院で亡くなりました。

 

篠沢秀夫さんは晩年、ALSによる肺炎によって入退院を繰り返していたとも言います。

篠沢秀夫さんのように、ALSで筋力が弱まることで、様々な内臓機能にも影響を及ぼし、合併症を引き起こすこともあるんですね。

 

 

ALSの難病と戦う有名人&芸能人5:徳田虎雄

 

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次に、政治家の徳田虎雄氏です。

徳田虎雄氏は、日本最大の医療グループ医療法人会徳洲会を築くとともに、衆議院議員として政治にかかわっていました。

 

虎田徳雄氏がALSを発症したのは2002年頃のことで、2005年に徳田虎雄氏はALSを理由に政界を引退しましたが、政界引退後も病床から、徳洲会へ指示を出し続けていたという話もあります。

 

実は、徳田虎雄氏が政界引退を公表した2005年の衆議院解散時に、徳田虎雄氏はALSを公表せず、単に体調不良とだけ告げていました。

そして、その後の11月29日に行われた日本ALS協会設立20周年記念式典にて一患者として出席し、徳田虎雄氏は初めてALSであることを公表しました。

 

この時、既に徳田虎雄氏は人工呼吸器のために話すことができず、代筆によるメッセージでの登壇になりました。

徳田虎雄氏は、「これからが人生の勝負です」と語り、多くの協会員や患者に勇気を与えたそうです。

 

徳田虎雄氏は今もなお闘病中ではありますが、目の動きで文字をたどり、徳洲会へ指示を発信しています。

 

ALSの難病と戦う有名人&芸能人6:ヒロ(藤田正裕

 

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次は、ヒロさんこと藤田正裕さんです。

外資系広告会社マッキャンエリクソンで働いていた当時30歳だった藤田正裕さんは、2010年11月末、31歳の誕生日を目前にALSの宣告を受けました。

 

藤田正裕さんはまだ30歳という若さながら、ALSの難病になってしまったことに、まだ親孝行も、仕事も、何もやれていないのに、、、という思いでいっぱいになったと言います。

そして、ALSに立ち向かうことを決め、自ら一般社団法人END ALSを立ち上げました。

 

現在、藤田正裕さんは声を失い、顔と左手の人差し指しか動かなくなっていますが、視線とまばたきで操作するパソコンのアイトラッキングシステムを利用し、週に一度、自宅で仕事をしています。

 

藤田正裕さんと、友人の大木美代子さん、尾崎千春さんとともに、一般社団法人END ALSでALSの認知度を高めるための活動に励んでいます。

 

藤田正裕さんは、ALSを発症する前からユーモアあふれる、社内のムードメーカーで、

「広告代理店に勤める自分がALSになったのは、何か意味がある」

と、次第に考えるようになったそうです。

 

働き盛りの時に突然ALSと診断されたら絶望してしまいそうですが、藤田正裕さんはALS発症後のどんなときでも、周囲に明るくふるまうんだそうです。

藤田正裕さんは書籍も出版し、『99%ありがとう。ALSにも奪えないもの』では、ALS発症前後の変化、価値観、思考に関して素直に書き記しています。

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ALSの難病と戦う有名人&芸能人7:川島雄三

 

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次は、映画監督の川島雄三氏です。

川島雄三氏は、1946年『追ひつ追はれつ』で初のキスシーンを撮影するなど、日本の映画史に残る多くの作品を残したことでも知られています。

川島雄三氏は、明治大学時代に映画研究部で制作について学び、明治大学卒業後、松竹大船撮影所監督部に入社しました。

 

しかし、この時既に川島雄三氏は、ALSを発症していて、持ちあがった食堂の娘との縁談も子供を作れない体であることを理由に断っていました。

川島雄三氏は、家を持たず新宿や浅草の飲食店を渡り歩いていたのですが、銀座の小料理屋「菊川」で働く中村八重司という女性に惚れ込み、中村八重司さんは川島雄三氏の子供を妊娠してしまいました。

 

しかし、川島雄三氏は中村八重司さんの出産を許さなかったといいます。

川島雄三氏は、自分と同じALSの子供が生まれてくることを恐れたのでしょうか?

 

川島雄三氏は、監督に昇任した1944年頃から足の自由が利かず、歩行困難に陥っていました。

そして、1963年6月11日に、川島雄三氏の容体は急変し、肺性心を理由に、自室のアパートで亡くなってしまいました。

 

川島雄三氏の直接の死因である肺性心は、肺機能障害による右室肥大または右室不全の状態で、おそらくALSによって引き起こされたものではないかと思われます。

川島雄三氏は若いうちからALSに悩まされていましたが、周囲につらい表情を見せることなく、最後まで喜劇映画を撮り続けたんだそうです。

 

 

ALSの難病と戦う有名人&芸能人8:毛沢東

 

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次に、中国共産党創立党員の一人の毛沢東氏です。

毛沢東氏は、戦後の中国国内戦で中華民国を台湾に追い出し、中華人民共和国を設立したことから、死去するまで中華人民共和国の最高指導者でもありました。

そのため、現在でも毛沢東氏は絶大な支持を得ていますよね!

 

戦後、毛沢東氏は日本やアメリカとの関係立て直しのため、積極的に外交に取り組んでいました。

 

そんななか、毛沢東氏は1972年2月18日に当時のアメリカ大統領だったニクソン元大統領と会談し、既に立つのもままならないほど不調を感じていた毛沢東氏が、立ち上がってニクソン元大統領と握手したことは、ニクソンショックと呼ばれるほど米中関係に大きな影響を与えました。

 

ニクソン元大統領との会談後、毛沢東氏はALSであることが判明しました。

毛沢東氏の信頼のおける医師団の懸命な治療もかなわず、喫煙による気管支炎により体力も奪われていき、1975年には白内障、心臓病を引き起こすなど、徐々に衰弱していきました。

 

毛沢東氏は晩年は話すこともままならなくなり、甥の毛遠新氏を通して、幹部に指示をするにとどまっていました。

1976年9月9日、毛沢東氏は周恩来氏や、朱徳氏の後を追うように息を引き取りました。

 

 

ALSの難病と戦う有名人&芸能人9:ホーキング博士

 

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次は、イギリスの理論物理学者のホーキング博士です。

ホーキング博士は、1963年に「ブラックホールの特異点定理」を発表し、世界的に名を知られるようになりました。

一般的にわかりやすく理論的宇宙論を説くサイエンスライターとしても活躍していて、ホーキング博士の著作のファンも多いと言われています。

 

また、ホーキング博士は車いすの物理学者としても知られており、ホーキング博士が車いすに乗っていたのは、1960年代に発症したALSが原因でした。

当時、ALSは余命が3~5年と言われていましたが、ホーキング博士の場合は途中で進行が止まり、その後50年以上研究活動を続けていたんです!

 

ホーキング博士は、晩年は意思伝達にほぼゼロ動作で伝達ができる重度障害者用意思伝達装置を使い、会話ではコンピュータプログラムによる合成音声を利用していました。

 

2018年3月14日に、ホーキング博士はケンブリッジの自宅にて死去しました。

ホーキング博士の場合は、ALS発症後とても長く研究活動を続けることができましたが、発症後の余命に個人差がある理由も、明らかになっておりません。

 

 

ALSの難病と戦う有名人&芸能人10:ルー・ゲーリック

 

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次は、元メジャーリーガーのルー・ゲーリック選手です。

ルー・ゲーリック選手は、ニューヨーク出身で、1920~1930年代にかけて、ニューヨークヤンキースにて内野手として活躍していました。

ルー・ゲーリック選手は、三冠王などの打撃賞を数々獲得し、現在でもなお史上最高の一塁手と言われるほどのスーパースターでした。

 

ルー・ゲーリック選手は日々ミスのない完璧なプレーを見せていましたが、まだ現役バリバリの35歳の時、突然体に異変を感じ、医者の診察を受けることとなりました。

 

そして、1939年にルー・ゲーリック選手は、ALSであることが判明し、早すぎる引退を決意したのです。

当時ALSはまだあまり知られていない病だったこともあり、現在でもALSは、別名ルー・ゲーリック病と呼ばれることもあります。

 

しかし、ルー・ゲーリック選手は普段からかなり体を酷使していたことから、晩年には手だけで17箇所もの骨折が発見されており、遅からず引退を決意していたのだろうとも言われています。

 

1939年にALSであることがわかったルー・ゲーリック選手でしたが、実は30歳の頃から既に足に力が入らないことを妻に話しており、

1938年1月に出演した映画『ローハイド』では、足がふらつく姿が見られたり、野球の試合中でもロッカールームで突然倒れるなど、ALSが判明する前から、周囲にもルー・ゲーリック選手の異変は見られていたようです。

 

当初、ルー・ゲーリック選手は脳腫瘍の可能性を疑われていましたが、ルー・ゲーリック選手自身は、自分の母が苦しんでいたALSの症状にとても似ていることに気が付いていたんだそうです。

ルー・ゲーリック選手は死の一か月前まで仮釈放委員会のオフィスに出勤していましたが、次第に歩行困難になり、車いすを使うことも嫌がったため、完全に寝たきり状態となりました。

 

そして、1941年6月2日にルー・ゲーリック選手は亡くなり、全盛期に93キロあった体重は、41キロまで落ちていたといいます。

ルー・ゲーリック選手は36歳という史上最年少でアメリカ野球界殿堂入りを果たしており、ニューヨークヤンキースでつけていた背番号4は永久欠番となっています。

 

ルー・ゲーリック選手の死後、『打撃王』という映画でルー・ゲーリック選手の伝記映画が公開されるなど、いかにルー・ゲーリック選手が偉大な選手であったかがわかりますね。

 

 

ALSの難病と戦う有名人&芸能人11:ショスタコーヴィチ

 

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最後に、ソビエト連邦時代の作曲家であるショスタコーヴィチ氏です。

ショスタコーヴィチ氏は、交響曲や弦楽四重奏曲が有名で、シベリウス、プロコフィエフとともに、最大の交響曲作家としての地位を確立していました。

 

しかし、ショスタコーヴィチ氏は、 1975年8月9日に死去しており、この死因がALSだったのではないかと言われています。

とはいえ、ショスタコーヴィチ氏がALSにより亡くなったという記録は残っておらず、晩年は脊椎性小児まひのために右手が動かなくなったことは明らかになっています。

 

また、ショスタコーヴィチ氏の直接の死因は肺がんでのため、ショスタコーヴィチ氏がALSを患って亡くなったという断言はできません。

ショスタコーヴィチ氏は、『The last Summer Together 』に、1958年以降は右手で重いものが持てなくなり、書き物も疲れるようになった。

加えて1960年には足に力が入らなくなり、手足がポンコツだとまで記録に残しています。

 

ショスタコーヴィチ氏に表れた手足の筋力低下は、ALSの症状に酷似しているため、ショスタコーヴィチ氏がALSを患ったと言われているのです。

それに、ショスタコーヴィチ氏はALSを患った著名人として、日本筋ジストロフィー協会のリストにも掲載されています。

 

 

まとめ

 

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今回は、ALSとは何なのか?ALSと闘っている有名人にはどんな人がいるのか?について調べてみました。

ALSという名前は聞いたことがありつつも、実際にどんな病気なのかを説明できずにいましたが、まずはALSという存在について知ることが何よりも大切だと考えます。

 

ALSは難病ではありますが、難病は必ずしもかかりにくい病気というわけではなく、確定的な治療法が見つかっていないこともあります。

ALSの方には、身体障害者手帳の申請や、障害福祉サービスの申請ができるようになったり、日本ALS協会による寄付も行われています。

 

私たちも今は健康でも、いつ何が起きるかはわかりません。今の私たちにできることから始めていきましょう。



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