三船敏郎の若い頃のイケメン画像や身長は?家系図や息子との関係性にも迫る!

三船敏郎さんは、三船美佳さんの父で、1940年代後半〜1990年代半ばまで活躍された俳優です。

娘の三船美佳さんの顔立ちから想像できるように、三船敏郎さんもかなりのイケメンだったそうです!

生前の三船敏郎さんと、三船美佳さんや他の子供たちとの関係性に迫ります。

 

三船敏郎の若い頃が超イケメン!身長は何センチ?

三船敏郎さんの若い頃がかなりイケメンなんだそうです。

筆者も散々母から三船敏郎さんの噂は聞いておりましたが(笑)、実物を見ていないといまいちイメージもつきません。

 

まずは、1947年に三船敏郎さんがデビューした頃(27歳頃)の画像を見てみましょう。

えええ!日本人じゃないような、目鼻立ちのはっきりとした顔立ち、ヘアスタイルも綺麗に整ってて、20代とは思えない色気があります。

 

なんと、身長は174cmもあったそうです。

昔の人の平均身長は160cmくらいだったそうですから、当時の中ではかなり高いほうだと言えますよね。

 

三船敏郎さんは、『羅生門』『七人の侍』に出演していたことから、スティーブン・スピルバーグ監督や、ハリウッド俳優にもファンが多いようなんです。

世界的な有名人を虜にした三船敏郎さんを、作品ごとに見ていきましょう。

 

羅生門の三船敏郎

まずは1950年に公開された『羅生門』です。

黒澤明監督作品で、三船敏郎さんが主演を務めていました。

『羅生門』は、学生時代に国語の授業で誰もが目にした作品でしょう!

 

この時、三船敏郎さんは30歳ですが、この貫禄と目力の迫力が、三船敏郎さんの素晴らしさを物語っていますね。

『羅生門』は、日本映画で初めてヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞と、アカデミー賞名誉賞を受賞するなど、黒澤明監督が世界に知れ渡るきっかけにもなりました。

 

芥川龍之介さんの『羅生門』を読んだときは、正直意味がわからなかったのですが、映画の『羅生門』を見ると、また違った見方ができそうですね。

 

用心棒の三船敏郎

続いては三船敏郎さんの代表作の一つ、『用心棒』です。

『用心棒』も1961年に公開された、黒澤明監督の作品です。

この時、三船敏郎さんは47歳でした。

 

現在でも予告編を見つけることができたので、こちらをご覧ください。

白黒の映像ではありつつも、しっかりと迫力が伝わってくるのは、さすが三船敏郎さんと言ったところでしょうか。

 

『用心棒』のストーリーを簡単にまとめると、三船敏郎さん演じる桑畑三十郎と名乗る男が、町のあらゆる賛辞を片づけ、町の平穏を取り戻し、黙ってい去っていく、、、

というものになっています。

 

この作品で話題になったのは、ストーリーではなく、桑畑三十郎は、人を斬るときに、必ず2度斬りしていることです。

よく映画やドラマで見るのは、主人公が敵を一撃でスパスパ斬っているシーンですが、黒澤明監督と、三船敏郎さんは、「人は一回斬られたくらいじゃ死なない」と意見が一致したようなんです。

 

そう言われると、確かに一度斬られて倒れるのは不自然にも感じますね。

映像技術が進んでいないからこそ、そのような思考を凝らすことが必要だったのでしょう。

 

七人の侍の三船敏郎

最後に、1954年の『七人の侍』です。

こちらの作品はとにかく海外のファンも多く、数々のリメイク作品も生まれています。

またまた、黒澤明監督とのタッグ作品となります。

 

主演を務めた三船敏郎さんは、当時34歳という若さですが、国内外共に賞を総なめし、英国アカデミー賞では外国男優賞を受賞しました!

 

三船敏郎さんの名前が世界に知れ渡った代表作でもありますが、三船敏郎さんの優れた殺陣演技は、日本の文化を世界に広める役割もしたんですね!

もしかしたら、三船敏郎さんを見た外国人たちが、日本=侍文化と認識したのかもしれません(笑)

 

 

三船敏郎の家系図に迫る!三船美佳や息子について

 

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三船美佳さんは、三船敏郎さんの娘ということで有名ですよね。

三船敏郎さんは、1997年に77歳で亡くなっており、三船美佳さんは現在38歳なので、三船敏郎さんが亡くなった時は14歳でした。

 

となると、三船美佳さんが生まれた時は、三船敏郎さんは63歳だったことになります!

三船美佳さんは、随分と歳を取ってからの子供だったんですね。

なんか、普通じゃない事態な気がします!!

 

他にも三船敏郎さんには息子さんもいらっしゃいます。

三船敏郎さんと息子さん・三船美佳さんの関係を、三船敏郎さんの家系図から見ていきます。

 

三船敏郎の息子は何人?俳優だった?

 

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三船敏郎さんには、三船美佳さんの他にも息子が2人います。

三船敏郎さんは、1950年に女優の吉峰幸子さんと結婚しており、1950年に第一子の三船史郎さん、1955年に第二子の三船武志さんを授かりました。

 

こちらが長男の三船史郎さんです。

引用元:https://www.daily.co.jp/

長男の三船史郎さんは、俳優として活躍する傍ら、三船敏郎さんが設立した、三船プロダクションの代表取締役社長を務めています。

また、三船史郎さんの息子である、三船力也さんもこちらの三船プロダクション所属の俳優として活動しています。

 

次男の三船武志さんは、芸能界に関係していないのか、全く情報が開示されていません。

長男の三船史郎さんは現在70歳、次男の三船武志さんは現在66歳ということで、38歳の三船美佳さんとはかなり歳の離れた兄弟ということがわかります。

 

もしかして、わけありの兄弟なのでしょうか?

 

三船敏郎の娘・三船美佳は喜多川美佳との子供

 

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なんと、三船美佳さんは、三船敏郎さんの妻 吉峰幸子さんとの間の子供ではありません。

三船敏郎さんと内縁関係にあった、喜多川美佳さんとの間に生まれた子供でした。

驚きですよね!!

 

1950年に結婚した三船敏郎さんと吉峰幸子さんはしばらくは良好な関係が続いておりましたが、1970年頃から、三船敏郎さんの酒癖や暴力を理由に、夫婦関係は冷え切っていたようです。

ちょうど、息子たちが自立した時期なのでしょうか。

 

吉峰幸子さんに家を追い出されたり、三船敏郎さんが離婚を申し立てても、吉峰幸子が応じなかったりと、三船敏郎さんと吉峰幸子さんには、離婚訴訟が続けられていました。

 

そんなとき、三船プロダクションに所属していた28歳年下の喜多川美佳さん(当時34歳)との関係に走り、三船敏郎さんが62歳の時に三船美佳さんが生まれたのでした。

初めは三船敏郎さんの娘と認知されることはありませんでしたが、三船敏郎さんの遺言によって、正式に三船美佳さんは三船敏郎さんの娘として認められました。

 

そして、名前は母の喜多川美佳さんの芸名と同じ、美佳と名付けられました。

 

 

三船敏郎の殺陣演技がすごい!海外の反応は?

 

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先程、三船敏郎さんには海外のファンが多いとお伝えしました。

一般的な俳優であれば、1940年代であってもたくさんいたはずです。

 

なぜ海外に三船敏郎さんの演技がうけて、「世界のミフネ」と呼ばれるまでになったのか。

それは、三船敏郎さんの殺陣演技の素晴らしさにありました。

試しに、こちらの動画をご覧になってください。

 

三船敏郎さんの殺陣の凄さは、迫力と眼光の鋭さにあるようです。

海外からも、三船敏郎さんの殺陣演技はかなりの高評価を得ています。

役所広司、香川京子、二木てるみ、司葉子、土屋嘉男らが、豪快で大胆で、そして心が広く計り知れない男、三船敏郎の素顔を語る。さらにはマーティン・スコセッシやスティーブン・スピルバーグが熱く語るワンシーンも。

「彼のまねをする人は多いが、まねるのは無理だ」と語るスティーブン・スピルバーグの言葉から“世界のミフネ”の偉大さがうかがえる。

引用元:http://cinefil.tokyo/

現代では、道具もより高性能で誰でもできてしまうようになっています。

昔のような技術が発達していない時代だからこそ、より三船敏郎さんの真価が問われていたのでしょう。

 

 

三船敏郎はスターウォーズのダースベイダー役になる予定だった

 

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三船敏郎さんの殺陣演技に惚れ込んだジョージ・ルーカス監督が、三船敏郎さんに新たなSF映画のオファーを申し込んだのは有名な話ですよね。

ジョージ・ルーカス監督のSF映画といえば、知らない人はいない、『STARWARS』ですよね!!

 

三船敏郎さんは、剣術の達人として映画に出演することを打診されました。

しかし、日本の武士道や侍の要素が、ハリウッド映画で安っぽく扱われてしまうことを恐れて、オファーを断ってしまったのです。

 

『STARWARS』ほどの名作を断るなんて!

なんとももったいないのでしょうか!!

 

それならば、顔も身も出ない黒い鎧に包まれた役(ダースベイダー)ならどうか、とジョージ・ルーカス監督が再オファーしました。

しかし、それでも三船敏郎さんの意思は固く、結局『STARWARS』に参加することはありませんでした。

 

1970年代のSF映画は映像技術が進んでおらず、チープな演出が多かったため、どちらかというと子供向けだったんですね。

日本の黒澤明監督の作品に強い影響を受けたという同シリーズのジョージ・ルーカス監督から、三船に最初に届いたオファーは、ジェダイの騎士・オビ=ワン・ケノービ役だったいう。

「でもうちの父はサムライ魂がすごく強くて。当時は今のようにテクノロジーが発達していなかったので、不可能ではないかと。日本の武士道をコミカルに描くのは、自分はどうなんだろうと悩んだ」と回顧。

それを聞いたルーカス監督は「じゃあ顔を隠してみたらどうだろう、ダース・ベイダーという役はどうだろう」と提案してきた、と明かした。

引用元:https://www.oricon.co.jp

そのため、日本の侍魂を大切にしていた三船敏郎さんは、安く扱われたくなかったのでしょう。

もしかしたら、『STARWARS』がこんなに大作になるとは思っていなかったかもしれませんね。

 

ジョージ・ルーカス監督は、黒澤明監督作品のファンで、『STARWARS』の初期段階の脚本の主人公は、アキラ・ヴァイラーで、黒澤明監督の名前から取ったそうです。

つまり、黒澤明監督作品に出ていた三船敏郎さんへのリスペクトも、相当なものだったはずですよね。

 

 

三船敏郎の死因は多臓器不全!最後が切ない…

 

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三船敏郎さんは、1997年12月24日に77歳で亡くなりました。

三船敏郎さんの死因は、多臓器不全でした。

 

多臓器不全とは、肺や腎臓、脳など生命の維持に欠かすことのできない複数の重要臓器のはたらきが著しく低下した状態です。

多臓器不全が起こる原因はさまざまですが、治療介入が遅れることで生命の危機に瀕することもあります。

 

1990年頃から三船敏郎さんは認知症の症状も出ていて、「世界のミフネの死」は、世界中を駆け巡る一大ニュースとなりました。

実は、晩年の三船敏郎さんは心身共に憔悴していて、かなり切ないものだったそうなんです。

三船敏郎さんは、1992年に心筋梗塞を患い、その後も体調が優れず、入退院を繰り返していました。

 

三船敏郎さんの晩年については色々な情報があり、中には既に余命宣告がされていた、なんていう話もあります。

こんな三船敏郎さんの面倒は誰が見ていたのでしょうか。

 

本妻の吉峰幸子さんには家を追い出されていますから、内縁の喜多川美佳さんかと思いきや、、、喜多川美佳さんにはすっぱり関係を切られてしまったんです!!

 

喜多川美佳さんが、関係を解消した理由ははっきりとわかっていませんが、三船敏郎さんの資産が自分名義になった途端、関係を解消したようで、かなりバッシングを受けたようですね。

 

看病が必要な状態で捨てられてしまった三船敏郎さんですが、最後の面倒を見たのは、本妻の吉峰幸子さんでした。

一度は、酒癖や暴力を理由に三船敏郎さんを追い出した吉峰幸子さんでしたが、本当はずっと三船敏郎さんのことを思っていたのでしょう。

 

1995年に吉峰幸子さんが亡くなり、2年後の1997年に三船敏郎さんが亡くなりました。

最期は、息子の三船史郎さんと、武志さんも一緒に過ごせたというエピソードもあり、とにかく三船敏郎さんが一人にならなくてよかった、という印象を受けました。



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