坂本九の死因と飛行機事故の真相!遺書や生存者の謎とは?

2019/6/29に放送された日本テレビ系スペシャルドラマ「もみ消して冬2019夏~夏でも寒くて死にそうです~」。

このドラマ主題歌があの坂本九さんの名曲「上を向いて歩こう」のカバーだということで話題になりました。

カバーしたのはアイドルグループHey! Say! JUMPですが、「上を向いて歩こう」という曲は日本だけでなくアメリカでも1位を獲得するなど世界的にな支持を受けた曲です。

 

今回はそんな名曲「上を向いて歩こう」を歌った坂本九さんの壮絶な死因と飛行機事故の真相、遺書や生存者について調べてみました。

ご覧ください。

 

坂本九のプロフィール

まずは坂本九さんのプロフィールを紹介します。

  • 芸名:坂本九
  • 本名:大島級
  • 生年月日:1941年12月10日
  • 没年:1985年8月12日
  • 出身:神奈川県川崎市川崎区
  • 家族:柏木由紀子(妻)、大島花子(長女)、舞坂ゆき子(次女)
  • ジャンル:ライトジャズ、ロックンロール、ロカビリー、ポップス、歌謡曲
  • 愛称:九ちゃん
  • 学歴:日大横浜学園

 

坂本九さんが生まれた日は第2次世界大戦マレー沖海戦が起こった日でした。

幼少期は戦争のまっただ中だったためお母さんの実家の茨城県に疎開していました。

 

その後戦争が終了した後は神奈川へ戻ります。

坂本九さんは日大横浜学園在学中にロカビリー歌手としてレコードデビューし、その後第3回日劇ウェスタンカーニバルに初出演し新人賞を出場しました。

 

坂本九さんのヒット曲名はこちらです。

  • 上を向いてある呼応
  • 見上げてごらん夜の星を
  • 明日があるさ
  • 心の瞳
  • 涙くんさよなら
  • 若者たち
  • 幸せなら手をたたこう

 

NHKで「上を向いて歩こう」を歌い日本中で大ヒットし、この歌を「SUKIYAKI」というタイトルでアメリカでも発売したところ全米№1を獲得しました。

その後は歌手・司会・俳優など多彩な才能を発揮しテレビで見ない日はありませんでした。

 

坂本九の死因は日本航空JAL123便の墜落事故

数々のヒット曲を出し世界中で話題の人だった坂本九さんは、1985年8月12日日本航空JAL123便に乗り悲惨な大事故にあい帰らぬ人となったのです。

 

普段は日本航空ではなく全日空を使っていたのですが、夏休みのお盆の季節で全日空が満席でチケットが取れなかったので日本航空を手配したそうです。

いつも通り全日空を使っていてこの時期に乗ることがなければ、この恐ろしい事故にあうこともなかったのかもしれません。

 

その事故の概要はこちらです。

悲惨な事故が起きたのは、1985年8月12日のことでした。

東京羽田発大阪行きのボーイング47SR-46が迷走飛行に陥ったのち、

群馬県多野郡上野村の高天原山へ墜落したのです。

乗員乗客合わせて524人中、520名が死亡した悲惨な事故となってしまいました。

2015年までに日本国内で発生した航空機事故では死者数が最多で単独機の航空事故でも世界最多という悲惨さでした。

1987年6月19日に航空事故調査委員会が公表した報告書では

同機が1978年に伊丹空港でおこしたしりもち着陸事故のボーイング社の修理が

不適切だったことによる圧力隔壁の破損が事故原因だと発表しました。

世界中から愛されていた坂本九さんが亡くなったのは恐ろしい事故のためでした。

坂本九さんはまだ43歳と若く、生きていれば今79歳だったでしょう。

 

また当時の記者が語った真実はこちらです。

午後6時40分ごろだった。羽田空港ビルの4階で全日空の担当者と会っていた社会部羽田担当・清水喜由(35)のポケットベルが3回鳴った。

札幌支社時代から航空専門記者を目指し、ネットワークを作ってきた清水は、羽田でも空港関係者との間で何かトラブルがあったら知らせてもらう約束をしていた。

ポケットベル3回はその符丁だった。それは1985年8月12日。

ポケベルの合図は、前例のない悲劇の始まりを知らせていた。

「トラブルだろうか」。

清水は全日空の担当者と別れ、すぐに記者室に戻った。そこに他社の記者の姿がないことを確認すると、その場から親しくしている管制官に電話を入れた。

「日航123便がフラフラしている。羽田に帰ると言っている」。

レーダー室も「確かにこちらに戻りそうだ」と言う。

「エアターンバックかな。長野方面から東京に戻るルートがあったはずだ。それに乗って羽田に戻るのだろうか」。

清水はビル2階の航務課(当時)に下りてみたが、「分からない」という。

航務課はいざという時、「救難調整本部」(RCC)となるセクションだが、課内は静かであわてた様子もない。

しかし、午後6時59分、衝撃的な情報で状況は一変した。

「123便がレーダーから消えた」。清水は親しい課員に頼み込み、123便の行き先である大阪空港の管制部に電話をかけてもらったが、着いていない。

東京航空交通管制部にも聞いたが、「レーダー上には写っていない」という。

清水は「大変な事故になっている」と確信し、午後7時9分ごろ、航務課に来ていた空港長に

「今からフラッシュを打ちます。ニュースが出ます」と通告。

急いで電話がある記者室に戻った。

午後7時11分ごろ社会部に連絡。

緊張を押し殺し、努めてゆっくりと「フラッシュをお願いします」と伝えた。

歴史的な一報を受けたのは、担当の時間を終えて帰りかけていたデスクの天野岩男(41)だった。

異常事態の発生をつかみ、空港ビル内を走り回って取材していた清水の息づかいは荒く、受話器からもそれははっきり聞き取れた。

引用:https://www.jiji.com

 

リアルな現場の様子が伝わりますね。

このことから墜落したのは夕方の午後6時以降と言うことが分かります。

そのため生存者の救出も遅れたのでしょう。

 

 

日本航空JAL123便の墜落事故の真相は「撃墜」?身代わり説とは?

日本航空JAL123便の墜落事故の原因はボーイング社の不適切な修理が原因で

後部圧力隔壁が破損し垂直尾翼と補助動力装置が破損し、油圧操縦システムも全喪失したと報告されています。

その結果、迷走飛行をし群馬県の御巣鷹の尾根に墜落したのです。

 

しかし、この原因については様々な噂があります。

 

事故当初は機体の整備不良のような報告でしたが、墜落の本当の原因は航空自衛隊の戦闘ミサイルの誤射であるのではという分析があるのです。

 

その証拠の証言のまとめがこちらです。

  • 事故当時123便の近くに謎のオレンジ色の物体が飛んでいた。
  • ボイスレコーダーされた記録で海上自衛隊出身の機長らが「オレンジエア」と続けて交信している。
  • 墜落現場にオレンジ色の残骸があった
  • 墜落した機体後部にミサイルAIM4が突き刺さっていた
  • 救出に向かっていた米軍のヘリに引き返せと中曽根内閣から命令を受けた

 

オレンジ色の物体は訓練中の自衛隊のファントム戦闘機であると言われています。

また「オレンジエア」は海上自衛隊の隠語で誘導ミサイルや無人標的機のことで機体にミサイルが衝突したのではないかと憶測されています。

 

そのため訓練中の自衛隊が誤って撃墜してしまったのではないか、当時の自衛隊や政府はそれを隠蔽したのではないかと言われています。

 

その理由として事故が起きた1985年8月12日からほぼ1年が過ぎた1986年7月に2人の航空自衛隊員が自殺しました。

その後次々と航空自衛隊員が謎の自殺を遂げ1年間で約90人以上の自衛隊隊員が自殺したと記録されています。

凄惨な事故を起こし隠蔽した罪悪感からそのような行動に移ったのではないかと言う声もありました。

 

日本航空JAL123便の事故直後に自衛隊は到着していたものの、救出にすぐにあたらずにむしろ救助を遅らせたような行動をとっていたとの証言もあります。

自衛隊と県警はまるで乗客の死を待つかのように上野村の民間消防隊員に「現場に入って詮索するな」とも言ったのです。

 

そのため何か生存者に証言されては困ることを隠蔽するために、何らかの措置をしていたからではないかという可能性が高いと噂されています。

空白の10時間に一体何があったのか未だに明らかにされていません。

 

また身代わり説という説もあります。

これはただの事故ではなく「出雲族」が信仰する神である「国常立尊」を蘇らせるために画策したのではないのかという説です。

 

123便=「ひふみ」=「ひふみ神示」=「国常立尊」を意味しているというのです。

日本航空JAL123便が墜落したのは高天原山の尾根になります。

 

高天原は日本の乞食において天津神が住まう神聖な場所を意味しており123はひふみという神事をあらわす神聖な数字です。

そして犠牲者が520人であったことにも意味があります。

 

その理由はこちらです。

高天原は古事記において、天津神(あまつかみ)が住まうとされる神聖な場所を意味します。

123=「ひふみ」は、神事を表す特別な数字であり、

残酷なまでの情報隠滅作戦にもかかわらず、結果的に524人の乗客のうち4人が生き残り、

犠牲者が520人となったことなど、偶然の一致では片づけられない不思議な符号が、本当の理由を教えてくれました。

この世界には偶然というものは存在しません。

ですからそこには大きな意味があります。行き着いたのは、高天原にある神社の両脇に眠る520体の石仏でした。

その神社のご神体は、国常立尊(くにとこたちのみこと)です。

古代日本の王であった国常立尊は優れた人物でしたが、厳格すぎる性格が災いして家臣に恐れられ、暗殺されました。

そして、暗殺された国常立尊の首が流されたのが神流川(かんながわ)、

胴体を流したのが荒川、暗殺者が返り血をすすいだ時

「くまなく血で染まった」のが千曲川(ちくまがわ)、そしてその三つの川の源流こそが、高天原です。

その神社に国常立尊(くにとこたちのみこと)が生き返るようにと、

昔の人たちはコツコツと石仏を納めました。

そして納めた520体の石仏に、JAL123便で命を落とした520人の御霊(みたま)が入った瞬間、

国常立尊が蘇えるという伝説があります。

この伝説を知る地元の人々は、JAL123便の事故のニュースを見た時、

犠牲者が520人だったとわかって、

「あぁ、この人たちが神様を蘇えらせてくれるのだ」と悟ったそうです。

520人は無駄に犠牲になったわけではなかったのです。

彼らは国常立尊となり、日本の国を守るために蘇ったのです。

 

「出雲族」が神を蘇らせるために暗躍したのではという説です。

「出雲族」は日本国内でも根深くて「グリコ・森永事件」に加担していたと言われる「三菱」もまた「出雲族」と言われています。

そのためそういった説が横行しているのです。

 

他にも墜落させられた原因としてこのようなことも言われています。

1. プラザ合意を呑ませるために中曽根を脅迫するため
2. プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名を全員暗殺するため
3. グリコ森永の実行犯を殺害し証拠隠滅するため
4. 松下トロンOSの技術者17人を抹殺するため
5. JAL123便が核弾頭を輸送していることを米軍が突き止め、ミサイルで攻撃した
6. 核弾頭輸送を隠蔽するため、自衛隊は日航機を御巣鷹山までおびき寄せ撃墜した
7. 自衛隊は米軍機、自軍機、さらには偵察のみのNSA機、ソ連機まで全機撃墜
8. JAL123便の生存者は数十名以上いたが、ほぼ全員VX毒ガスなどの手法で殺された
9. 宗教的な意味を持たせるために、犠牲者は520人でなくてはならなかった

宗教的な理由や経済的な理由で闇に葬られたのではないかという噂が多いのですが、

そのような理由で罪もない子供や家族が犠牲になったのだとしたら残酷すぎます。

 

坂本九は飛行機事故で遺書を書いていた?

坂本九さんは飛行機が墜落すると思った瞬間、遺書を書いて残したのでしょうか。

その真相は飛行機事故の後坂本九さんの遺体を確認した奥様が語っています。

 

坂本九さんの遺体はとても凄惨な状態になっており損壊が激しかったそうです。

そして歯が一致したことで坂本九さんの確認をしたとのことでした。

 

坂本九さんの荷物は無事でボストンバッグを機内に持ち込んでいたため、その中に遺書がないのか家族は期待したのですがそこに遺書はありませんでした。

また録音機能付きのウォークマンも入っていたので家族は遺言がないか期待したそうです。

しかしそこには「We are the world」が入っていただけで遺言は何も残されていなかったと語っています。

 

しかし乗客の中には死を覚悟して家族宛に書かれた遺書やメモなどを残した方もいました。

その画像はこちらです。

墜落していく機内で恐怖に震えながらも残していく家族に言葉を遺したいという気持ちが伝わります。

どんな気持ちで言葉を綴ったのでしょう…想像するだけで胸が痛くなりますよね。

 

坂本九さんの遺体は墜落から99時間後の16日になって家族により確認されました。

遺体の発見は事故から2日後の14日頃なので状態はひどいものだったのでしょう。

 

しかし遺体が戻っただけよかったのかもしれません。

体がばらばらになってしまった方もいます。

 

坂本九さんは普段から身につけていた笠間稲荷のペンダントが胸に刺さっており、さらに首の太さが坂本九さんと同じだったっため確認ができたそうです。

即死状態と言われていますので機体の衝撃は相当なものだったのでしょう。

 

日本航空JAL123便が墜落した事故現場は?遺体はどのように見つかった?

坂本九さんの遺体は事故2日後に発見されましたが、日本航空JAL123便が墜落した事故現場はひどいものでした。

墜落現場は想像以上に広範囲に黒く焦げており森林は燃え人々の体も炭化するほど黒くこげていたそうです。

 

しかし、その点もおかしな話で日本航空JAL123便は燃料が満タンだったとはいえ黒焦げにするのは不可能なのです。

そのため多くの究明家たちは自衛隊の特殊部隊が現場に入り、生存者にガソリンをかけて生きたまま黒焦げにして証拠隠滅を測ったのではないか?と憶測されています。

 

また生存者を探そうとした自衛隊員が銃撃され命を落としたとも言われており、政府の闇があるのではと噂されていることの1つでもあります。

 

坂本九さんの遺体は墜落現場で両手で足首をつかんで頭を膝の中に入れる「安全姿勢」を取った状態で発見されました。

そのため即死状態であると言われています。

 

まだ五体満足でいたいが帰ってきたのでよかったのではないでしょうか。

燃やし尽くされ黒焦げになってしまった場合は誰かも分からなくなってしまいますし、しかも暑い時期なので腐敗も進んでしまいます。

突然の死に誰もが悲しみを隠せなかったでしょう。

 

 

坂本九の飛行機事故に生存者がいた?

坂本九さんが事故にあった日本航空JAL123便の飛行機事故には生存者がいたと報じられています。

その画像はこちらです。

生存者は7名発見となっています。

しかし実際は524名搭乗し生存者は4名と記録されています。

あとの3名はどうなってしまったのでしょうか…

 

この数については色々な憶測がありますが、

  • 宗教的な理由でこの事故を起したため520人にしなければならず3人は行方不明という説
  • 口封じのために人知れず犠牲者となってしまった説
  • 相次ぐ報道で重複して誤って数えられた説

などとも言われています。

 

真相ははっきりしませんが、それでも520人もの犠牲を出してしまった理由はいくつかあります。

当時救出された12歳の生存者はこのように証言しています。

救出された当時12歳の生存者は

「墜落した直後は周囲から『がんばれ』という励ましや

『早く助けに来ないのか』などという話し声が聴こえていたが、

次第に静かになっていった」と語っている。

そのため、救出が早ければ、さらに多くの人命が救えたのではないかという意見もある

 

生存者の救助が開始されるまでにおよそ14時間もの時間がかかってしまった原因は

  • 墜落事故現場の特定が難航し位置の特定ができなかったから
  • 活動休止命令が出されたから
  • 夜間救難装備がなかったから

などと言われています。

 

現場は山の尾根の間でちょうど県境でもありました。

山の上でもあることから直ぐに救助に向かうことができなかったようです。

また墜落からおよそ20分後に米国軍の輸送機により、御巣鷹付近で大規模火災が発見されたと通報がありました。

 

しかし救助要請は発動されずに救助活動休止命令がなぜか発令されてしまったのです。

この理由については事故原因を隠蔽するためではなどの憶測が飛び交っています。

 

どの理由においてもいち早く救助していれば結果は変わっていたのではないでしょうか。

即死状態ではなくゆっくりとただ死を待つことがどれほど辛いか、亡くなった方が偲ばれます。

 

日本航空JAL123便に明石家さんまも乗る予定だった?

日本航空JAL123便には実は明石家さんまさんも乗る予定でした。

それはご本人も語っています。

 

明石家さんまさんが飛行機に搭乗する目的は事故当日の夜に放送される予定だった「MBSヤングタウン」に出演するためでした。

しかしその前の仕事である「オレたちひょうきん族」の収録が早めに終わったため、一便早い全日空の便に振り替えたからだそうです。

収録がおしていたら今頃明石家さんまさんをテレビで見ることはなかったでしょう。

 

他にも搭乗する予定でしたが回避することができた著名人のかたは何人かいらっしゃいます。

  • 麻実れい(女優)
  • 逸見政孝(フジテレビアナウンサー)とその家族
  • 稲川淳二(タレント)
  • 久万俊二郎(阪神電気鉄道社長・阪神タイガーズオーナー)
  • 佐々木正(電気工学技術者、シャープ副社長)
  • 木戸克彦(阪神タイガース選手)の妻
  • 勝谷誠彦(コラムニスト)
  • 笑点メンバー(五代目三遊亭圓楽・桂歌丸・林家木久扇・林家こん平・三遊亭小遊三・六代目三遊亭圓楽・桂才賀・山田隆夫)

 

まさに運命というか天命というかですね。

回避することができた方々はその後も活躍している有名人ばかりです。

 

多くの犠牲を出した恐ろしい事故でした。

今も坂本九さんが存命であれば多くの歌を聴くことが出来たでしょう。

今後はこのような恐ろしい事故が起きないように万全を気してほしいものです。

 

以上坂本九さんの死因や日本航空JAL123便の墜落事故の真相についてでした。