渋沢栄一とはどんな人か簡単に説明!お札になった理由と功績がすごい!

20年ぶりに刷新される新一万円札の人物に抜擢された渋沢栄一さん。

一万円札といえば、福沢諭吉さんのイメージがまだまだ拭えませんが、実はこの方とてもすごい人なのです!

 

渋沢栄一さんはどんな人なのか??なぜお札になったのか??どんな功績があるのか?

そのすごすぎる経歴などを調べてみました。

 

渋沢栄一とはどんな人か簡単に説明(プロフィールと年表)

先日、11月11日は渋沢栄一さんの命日でした。

亡くなるまでの経歴はどのようなものだったのでしょうか?

 

プロフィールがこちらです。

  • 名前:渋沢栄一(しぶさわ えいいち)
  • 生年月日:1840年3月16日(天保11年)
  • 没年月日:1931年11月11日(昭和6年 91歳没)

 

渋沢栄一さんの略歴をまとめた年表がこちらです。

渋沢栄一さんは、幕末の江戸時代末期から大正初期にかけては武士でした。

幕末期に徳川慶喜の家臣となり、慶喜の弟である徳川昭武の付き人としてヨーロッパに渡りました

 

帰国後は、大蔵省に勤め、度量衡、国立銀行条例などの制定に尽力

さらには退官後も、実業家として日本の経済や経営の発展と安定の為に尽力したすごい人です。

その後、「近代日本経済の父」「日本資本主義の父」とも呼ばれています。

 

出身は埼玉県深谷市です。

深谷市といえば、ゆるキャラグランプリでも上位に入賞した「ふっかちゃん」でも有名ですよね。

ふっかちゃんのモチーフにもなっているネギが名産の市です。

深谷市はレンガも有名で、東京駅駅舎や鹿鳴館の建築に使われたレンガも深谷市で作られたものです。

なので深谷駅の外観が東京駅に似ているのですね。とても趣があって素敵な駅ですね。

 

このレンガにも渋沢栄一さんが関わっており、深谷市内の日本煉瓦製造株式会社を創設したのも渋沢栄一さんです。

市内にも煉瓦作りの建物が多く、煉瓦資料館も無料で見学できるよう開放されています。

 

先日、11月11日は渋沢栄一さんの命日でしたが、没年齢は91歳でした。

天保生まれの人としてはとても長生きだったようですね。

亡くなった原因は、風邪をこじらせてしまった為でした。

 

この風邪をこじらせてしまった原因というのも、風邪で病床中だったにもかかわらず「救護法」という現代の生活保護法の法律を制定するために寒空の下外出した為だそうです。

最期まで人の為・世の中の為に動いたすごい人だったのですね。

偉人として後生に名を残す人は、日本の為に動いたこのような人だからこそですね。

 

 

渋沢栄一の功績一覧から有名なものを簡単に説明

命日には生誕地である深谷市で式典が開かれ、渋沢栄一は後世にも愛される偉大な人物でした。

 

数々の名言も遺し、功績も多い渋沢栄一さん。

そんな渋沢栄一さんの数ある功績の中から有名なものを紹介していきます。

 

渋沢栄一は数々の有名企業設立に貢献!会社一覧がやばい!

 

渋沢栄一は、日本で最初の商業銀行である「第一国立銀行」の開業に携わり、開業後2年後には頭取として手腕を発揮します。

実業家としての実績もすさまじく、この第一国立銀行を拠点にしながら数々の有名企業の設立に貢献しています。

  • 第一国立銀行
  • 東京ガス
  • 東京海上火災保険
  • 王子製紙
  • 日本製紙
  • 東急電鉄
  • 秩父鉄道
  • 太平洋セメント
  • 帝国ホテル
  • 京阪電気鉄道
  • 東京証券取引所
  • キリンビール
  • サッポロビール
  • 東洋紡績
  • 明治製糖

 

などなど、これらの企業の他にも約500もの企業の設立に関わっています

渋沢栄一さんは藍玉と養蚕を家業とする半農半商の家庭に生まれた為、幼い頃から商売のことを学んでいました

また、論語などの中国古典を学ぶなど大変勉強熱心で努力家の人柄だったそうです。

そういった幼い頃からの経験や学びがこうした功績につながったのではないでしょうか。

 

一生にこんなにもたくさんの企業の設立に関わるなんてすごいですね!

 

渋沢栄一はノーベル平和賞に2度ノミネートされていた


渋沢栄一さんは、1926年と1927年に2度もノーベル平和賞にノミネートされていました。

候補者となった理由は、民間外交のパイオニアとして日本とアメリカの架け橋になろうとした為です。

 

日本国際児童親善会を作り、アメリカの青い目の人形と日本の市町人形を交換するなど、国際交流を民間レベルで推進・実現した功績が評価されました。

 

実際には、

  • 1926年・・・アリスティード・ブリアン(フランス)、グスタフ・シュトレーゼマン(ドイツ)
  • 1927年・・・フェルディナン・ビュイソン(フランス)、ルートヴィッヒ・クヴィデ(ドイツ)

 

が受賞者となった為、惜しくもノーベル平和賞を受賞することはありませんでした。

 

渋沢栄一の理念『道徳経済合一』がすごい!フィランソロピストの先駆者

渋沢栄一さんは、「道徳経済合一」という理念を掲げていました。

簡単に説明すると「富は全体で共有するもの」ということをモットーに掲げていたということです。

 

どんなに自分の地位が上がっても、自分の利益を追求せずに社会還元を第一に考えていた渋沢栄一さん。

自分に会いに来てくれる人がいれば、有名人であっても貧しい人であっても同じように受け入れ話を聞いていたそうです。

 

その考え方や生き方は、下記のようなフィランソロピストの先駆けとも言われています。

フィランソロピストとは、フィランソロピーを実践している人のことを指します。そして、フィランソロピーとは公益法人協会によりますと「博愛、慈善を意味するが、現代ではより広く個人や団体が、教育、研究、医療、福祉、環境保全、芸術などのために寄付金を拠出したり、ボランティアの奉仕活動をしたりする非営利の社会貢献活動」と定義されています。

引用元:https://zuuonline.com/archives/19836

 

実業家としても、「利益を求める中にも売る側には責任の重みがある。適当なものではなく本当に良いものを作り、みんなに喜んでもらうべき」という考え方を持っていました。

帝国ホテルや帝国劇場も手がけており、そのお客様ファーストの考え方が今もなお引き継がれている場所です。

 

 

 

渋沢栄一がお札(新1万円札)になった理由とは?いつから紙幣発行される?

このように、渋沢栄一さんがお札になったのは、数ある実績と共にその考え方や人柄が本当に世の為人の為に尽くした人であるという事も大きな理由です。

「資本主義の父」とも呼ばれ、日本経済の発展への功績の数々もまさに紙幣の顔にふさわしい人物だと言えますね。

 

さらに、会社設立だけではなく社会活動や教育についてもとても熱心だった渋沢栄一さん。

東京慈恵会や日本赤十字社、らい予防協会などを作り国民の為の医療の発展にも貢献しています。

教育関係では、一橋大学の前身や、東京経済大学の前身の設立に貢献しています。

 

さらに、道徳経済合一の考え方に基づき、家族や親戚だけがもうける仕組みの財閥を作らずに自分の利益ではなくみんなの利益が大事という信念を貫きました

 

明治の初めに活躍・成功した人はみんなこの財閥を作っていたような時代にも関わらず、自分の信念にぶれない渋沢栄一さんはかっこよすぎますね!

 

ちなみに、他の新紙幣の顔となる人は

  • 五千円札・・・津田梅子さん
  • 千円札・・・北里柴三郎さん

です。

 

最初は慣れなさそうですが、きっとこの顔ぶれのお札がすぐにしっくりくるようになるのではないでしょうか。

 

 

渋沢栄一のお札(新1万円札)が韓国で批判されている理由とは?

渋沢栄一さんが新たに新一万円札の顔になると発表された際、韓国では批判が起きてしまったようです。

韓国側の批判内容と主張がこちらです。

 

他にも、韓国のハンギョレ新聞には「日本の新紙幣の人物は経済侵奪の張本人」などと批判的に報じられていました。

これは、日本が朝鮮半島への影響力を強めていた時代に、渋沢栄一さんが韓国の会社の社長を務め植民地時代の経済侵奪を象徴する人物だということが原因のようです。

 

さらに、韓国で初めての紙幣の顔にも日本人の渋沢栄一さんが使われており、これも韓国側にしてみれば屈辱的な歴史だという事だそうです。

 

この韓国側の主張を受けて新紙幣の人物を替える事はないですが、渋沢栄一さんが日本で英雄のように扱われるのが我慢ならないのではないでしょうか。

今は日韓関係もどんどん冷え込んできてしまっていますし、あまり刺激せずに穏便に新紙幣刷新が行われることを願うばかりですね・・・。

 

さて、ここまで調べてみましたが渋沢栄一さんがとても素晴らしい人物であるということがわかりましたね!

 

私も恥ずかしながら「一万円札の渋沢栄一さんって誰??」とよく知らなかったのですが、調べれば調べるほどファンになってきました。

次回の大河ドラマも渋沢栄一さんが題材に扱われることが決まっています

これを見ればもっと新一万円札に愛着がわくのではないでしょうか!?

20年ぶりに刷新される新紙幣の登場を楽しみに待ちたいと思います!!



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。