昭和天皇の崩御の日の真実!本当の死因はがんではなく輸血?

2019年5月1日令和がスタートをし、新時代をお祝いする儀式や祭典にも改めて注目が集まるようになった2019年。

2019年11月9日に天皇陛下のご即位をお祝いする『国民祭典』が行われ、国民的アイドルグループである嵐の奉祝曲や女優・芦田愛菜さんのスピーチが話題になったことが記憶に新しいですね。

 

ここには昭和から平成への混沌期を繰り返すまいと今上天皇が生前退位を選択された結果、新時代を華々しく迎えられたという側面があります。

 

今回は昭和天皇が崩御された昭和の終わりについて、崩御された日やそれに至るまでのテレビ放送・国民の自粛モードがどんなものだったかを振り返っていきます。

昭和天皇の死因の究明や葬儀・ご遺体がどうなったのかについても詳しく解説していきますよ!

 

昭和天皇の崩御の日の真実!日本の異様な自粛ムードの背景とは?

崩御(ほうぎょ)とは一体何のことなのでしょう?

言葉の意味は君主が亡くなることを意味し、現代日本では天皇・太皇太后・皇太后・皇后が亡くなった時に使われる言葉になります。

2,000年以降マスコミによる報道では『崩御』『ご逝去』の2通りの言い方が主流になっています。

 

さて本題に戻りますが、平成から令和に移行する際“天皇陛下が生前退位される”ことが大きく話題になりました。

 

生前退位をする理由として

「昭和天皇が病に倒れ昭和が終結する際に起こった、社会に大きな影響を及ぼす様々な出来事を繰り返さぬために」

と、天皇陛下がご意向を述べていたことが記憶に新しいかと思います。

では、昭和天皇が崩御された時は、一体どんな混乱が生じたのでしょうか。

昭和天皇が崩御された時期、その後の日本の状況についても詳しく見ていきましょう。

 

昭和天皇のご容体が急変したときのテレビの様子

昭和天皇が最初に大きく体調を崩されたのは1987年4月29日、昭和天皇自身の誕生日の祝宴の日に200ml程度の吐血をしました。

この日をきっかけに体調を崩す日が増し開腹手術を受け、周辺のメディカルスタッフによる懸命な治療と介護が行われ、体調が安定していたように見られました。

 

ところが1988年9月19日、昭和天皇は大量の吐血をし重体に陥ります。

そのことが報道されたことで、国民は昭和天皇のこの先を想像し始めることとなったのです。

 

ご容体が急変したことでテレビの放送内容にも大きな影響がありました。

これは当時のテロップの様子ですが、体温・脈拍・血圧・呼吸数などかなり細かいヘルスデータを一般人にもわかるように表示しています。

当時を知らない若者からすると衝撃的な絵面ですよね。

 

さらにNHKでは毎晩のニュースで昭和天皇の下血量を伝えていたのも驚きを隠しきれません。

ご容体が分かっても何もできない一般人に対して、ここまで情報を開示するものなのかと私は呆然としてしまいました。

 

実は、昭和天皇がご容体を急変された時を同じくして、ソウルオリンピックが開幕しており、テレビ局はオリンピックと宮内庁関連の報道を並行して放送する必要がありました。

 

現場はかなり混乱していたことは想像に難くないですよね。

まさに修羅場と呼ぶにふさわしい状況だったことが知られています。

 

それを象徴するのは1988年9月24日の男子陸上100m決勝で、ベン・ジョンソン選手(加)とカール・ルイス選手(米)が相まみえたときでしょう。

その試合を独占放送していた日本テレビは、陸上競技の合間に計7回放送を中断し昭和天皇の容体を報じていました。

そのような過去を案じて、2020年東京オリンピックを前に2019年での生前退位を希望された今上天皇のお心遣いは深く染み入るものがありますね。

 

 

昭和天皇が崩御された年齢・時間・曜日はいつ?

昭和天皇が崩御されたのは1989年1月7日(土)午前6時33分、87歳のことでした。

昭和天皇陛下が倒れられたときにテレビ局各社では緊急速報が流れましたが、1月7日時点では各局で特番が放送されたことからも印象深い出来事として記憶している方が多いかもしれません。

 

1989年1月7日午後2時ごろ、小渕恵三官房長官から新元号が『平成』と公式に発表されました。

こちらは令和に変わる前にも幾度となく放送されていたので、平成生まれのティーンたちも見たことがあるかと思います。

 

さらに政府から国民や民間企業に対して『哀悼の意』を表するように要望が出されたために、

証券取引所や大相撲の中止などに始まる“日本各地での停滞感・閉塞感”が一気に広がっていくこととなりました。

 

昭和天皇の崩御で日本は異常な自粛ムード

では昭和天皇が崩御されたことによって、日本国内でどんな影響があったのかを振り返っていきます。

 

当時首相を務めていた竹下登氏は、

  • 消費税導入を訴える辻立ちを中止
  • 国内外の予定を全てキャンセル

内閣は天皇の崩御に関する情報に集中する体制を取っていました。

 

この頃で言うと、日中平和友好条約10周年やエイズの問題など大きな出来事があったことを考えると、ビックリしてしまいますよね。

これが出来てしまう日本は平和だなと言わざるを得ません。

 

また崩御から2日間はテレビCMが完全に自粛し、代わりにACジャパンのCMが流れていました。

最近だと東北の大震災の時にも同じような措置がとられたので、イメージしやすいかと思います。

バラエティ番組は軒並み放送を取りやめた結果、芸能事務所はタレントの出演キャンセルが相次ぎ、会社が業績不振になったケースが後を絶ちませんでした。

 

スポーツ界への影響も大きく中日ドラゴンズのリーグ優勝の際に“祝勝会”を“慰労会”に名称変更したり。

ビールかけを自粛したことは野球ファンの印象には強く残った出来事かと思います。

 

一般庶民の生活にも大きな影響があり、伝統行事や季節行事の多くが自粛されることになりました。

例えばお正月の年賀状では「賀」「寿」などの賀詞の使用を控えたり、

小中学校の運動会・文化祭などの行事ごとが見合わせられるなどの影響が出ました。

 

個人の結婚披露宴を中止もしくは延期にする動きも見られ、海外からはこの異様なまでの自粛を大変奇異なものとして捉えていました。

確かに客観的にみるとちょっと怖いくらいだなと思います。

 

 

昭和天皇の崩御によって殉死者も出た

昭和天皇は日本の数ある天皇の中でも特別な存在として知られています。

それは第二次世界大戦前に天皇になり、戦後の混乱や高度経済成長の時を“象徴天皇”として過ごされてきたことが示しています。

 

具体的に言うと、“軍の最高指揮権を持つ天皇”“戦後の平和を象徴する天皇”という2つの真逆な立場を経験した唯一の存在であるということです。

 

その特異性が故に昭和天皇が崩御されたことを受け、少なくない人が後を追って自らの命を絶ったことが知られています。

 

1989年1月7日に和歌山県海草郡で昭和天皇と同年齢同日誕生の男性が殉死しました。

この日を境に、計10名の殉死者・1名の殉死未遂者が出たことが警察からの発表で周知されています。

自殺を思いとどまることが出来なかった、もしくはその判断に至らなかったことに対して苦しい気持ちになると同時に、

そんな狂気を生み出した悲劇を忘れてはならないと、改めて感じる事件だと個人的に思っています。

 

 

昭和天皇の本当の死因はがんではなく輸血だった?

昭和天皇が崩御された当日である1989年1月7日に記者会見が開かれ、

「昭和天皇の死因は十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺がん)」と発表されました。

前々から吐血や下血を繰り返し外科手術を80歳を超える高齢で受けていた昭和天皇は、輸血を何度も受けていました。

 

がんの部位からの出血が増え大量に輸血が必要となり、自衛隊員が採血のために集められ輸血が繰り返されました。輸血総量は3万1800ccを超えたと言われています。

 

輸血をうけるリスクとして、輸血拒絶反応があったのではないかという推測も存在しています。

輸血は血液型が同じならリスクがないというイメージがありますが、実際は違います。

 

「輸血は最も身近な臓器移植」などと言われることもあるくらい、自己血と輸血された血液が体内で攻撃し合うリスクがあることが分かっているのです。

 

昭和天皇の場合は輸血ショック症候群、正式には移植片対宿主反応(GVHD)の可能性が指摘されています。

移植片対宿主反応(GVHD)とは
  • 輸血や血液製剤の投与、骨髄移植等を行った際に発症し100%死亡する
  • 投与された血液中のリンパ球が増殖し、自己血のリンパ球や細胞内皮系を攻撃したときに起こる症状である
  • 感染症や肝臓障害などが発症することをはじめ、輸血しているにも関わらずあらゆる血球が減少、最終的に貧血を発症し重篤な症状に陥る

ことが特徴として知られています。

最近ではこの拒絶反応を防ぐために、輸血用血液からリンパ球を取り除いてから輸血するなどの処置が行われています。

 

亡くなる直前の昭和天皇の病状に確かに類似しているので、移植片対宿主反応(GVHD)の可能性は否定出来ないと考えられます。

 

ただ、昭和天皇のケースについては、もともとガンに侵されていた体に対して1日でも長く生命を維持するために輸液・輸血液で延命処置を行っていたことは周知の事実です。

ガンか移植片対宿主反応(GVHD)のどちらが死の直接原因かを断定するのは、極めて難しいでしょう。

 

また死の直前に個人のヘルスデータを国民に晒されながら尊厳死を選びたくとも選べず亡くなったことを考えると、死因について無神経に蒸し返しすぎるのも心苦しいと感じます。

 

 

昭和天皇の葬儀の様子は?ご遺体はどうなった?

昭和天皇の葬儀は1989年2月24日に新宿御苑にて氷雨が降りしきる中行われました。

ブッシュ米大統領を筆頭に164もの国や地域の元首や代表が弔問に訪れ、参列者は約1万人に達しました。

葬儀は2部制で、前半は皇室行事である『葬場殿の儀』。

後半は内閣主導で行う宗教色を取り除いた国家行事である『大喪の礼』が執り行われました。

 

葬儀は全体を通して2時間半程度で、その後棺は東京都八王子市の武蔵野陵にて埋葬されました。

 

この葬儀は敗戦後新憲法の下で初めて行われ、“政教分離”を色濃くした点に特徴がありました。

そのため伝統を重んじる保守派海外から軍国主義から完全に脱したと見られたい護憲派が対立し、鳥居の有無やその位置によって議論が繰り広げられました。

 

それが発展し「政府と宮内庁が対立構造にある」などと報じられたこともあります。

 

実際に参列した海外の出席者は、「葬儀に多少の宗教色が出るのは当然のこと。前半の葬場殿の儀の方が日本古来からの伝統や荘厳さが感じられて良かった。」などという意見もあり、

「もめなきゃいけないのはそこだったのかな?」となんともむなしい複雑な気持ちに個人的にはなりました。

 

ここで補足ですが、天皇の埋葬方法は殯(もがり)と呼ばれる儀式を含む土葬です。

「殯(もがり)」とは具体的に本葬を行うまでの期間に死者の住まいである殯宮を建て遺体の腐敗する段階に応じて死を受け入れていくというもので、『魏志倭人伝』にも記載がある方法になります。

簡単にその役割を説明するなら、古来から伝承された“天皇陛下に対するお通夜”と言ったところでしょうか。

 

昭和天皇が崩御した際には連日約50日間殯が続けられ、その後1年ほど喪儀に関する行事がありました。

これが大きな負担になることを今上天皇は生前退位についてのお気持ちを話される中で言及していました。

 

「お通夜50日・葬儀関連の行事が約1年・その間に別の皇室行事だなんて、皇室ってそんなハードスケジュールなの?」

と驚いた方も少なくないのではないでしょうか。私だったら逃げたいです。(笑)

 

これを受け宮内庁から、今上天皇が将来的に崩御されることになった場合は「火葬」を選択することが発表されました。

残される家族や関係者の負担を軽減し国民への配慮を最優先にした決断をされた背景を考えると、その責任の重みに天皇という存在を見た気持ちになりますね。



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