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マザーテレサとは何をした人物?サイコパスで人身売買に関与が真実の姿?

“貧しい人を救うこと”を信条に目の前の困っている人々へ惜しみない愛を注いだ修道女、マザーテレサ(本名アグネス・ゴンジュ・ボワジュ)。

そんなマザーテレサの生涯にフォーカスし、生い立ちやボランティア活動の内容・数々の受賞歴・ビジネスマンの方にも役立ちそうな名言についても紹介していきます。

 

また、マザーテレサの人間性にも迫り、実は真実の姿はサイコパスで人身売買に関与していたという噂。

マザーテレサが抱えていた悩みについても検証していきますのでチェックしてくださいね。

 

マザーテレサとは何をした人物?生涯をわかりやすく簡単に説明

マザーテレサの残した言葉の中に下記のものがあります。

聞いたことがあるという方も多いかもしれませんね。

 

高僧の説法にも共通する、本質をズバリと指摘するシビアさと重みのある言葉だなと改めて思わされます。

マザーテレサと言われたら、上記の言葉以外にも“サリーを着た姿”“ノーベル賞の受賞”がだいたいイメージされるところかと思います。

 

しかし、実際にどんな人生を歩んだ人なのでしょうか。

幼少期からの生い立ちを確認しつつ、マザーテレサの活動の源泉を辿ってみることにしました。

 

マザーテレサの生い立ち

マザーテレサは1910年8月26日、オスマン帝国コソボ州ユスキュブ(現北マケドニア・スコピエ)でこの世に生を受けたとされています。

両親は熱心なカトリックだったこともあり、誕生の翌日には教会で洗礼を受けています。

比較的裕福な家庭で、両親が貧しい人への手助けに対して積極的な人柄だったことも知られています。

 

その両親を見て育ったマザーテレサは幼少期から優しく聡明な人柄だったと言われており、12歳になる頃には将来修道女になることを希望していたようです。

その根本には「人を助けたい」という想いがあったと言われていますが、小中学生でその想いに至るなんて本人の素質はもとより親御さんの素晴らしさにも感服ですよね?

 

1928年故郷を離れ、アイルランド・ロレト修道女会に入会をすることでシスターとしての人生をスタートするのです。

ロレト修道女会ではインド各地で宣教のための奉仕活動が行われており、マザーテレサも志願し1929年19歳でインドへ旅立つこととなったのです。

 

マザーテレサのカルカッタ修道女時代

1929年~1947年まで、マザーテレサはインド・カルカッタのミッション系学校で地理と歴史を教える教師として働いていました。

このころは上流階級の女性教育に携わっており、それと並行して1931年ダージリンにて修道女として初誓願を行います。

このとき修道名を「テレサ」とすることを決めるのです。

 

また1937年には終生誓願を行い生涯を修道女として過ごすことを決め、周囲からは「シスター・テレサ」と呼ばれるようになっていきます。

1944年44歳の時には、聖マリア高等学校の校長先生に抜擢されます。

マザーテレサに校長先生のイメージがある方は少ないのではないでしょうか?

 

比較的裕福な暮らしをしていたことが伺い知れますが、1946年ダージリン行きの電車の中で「全てを捨てて、最も貧しい人を助け、働きなさい」神からの啓示を受け状況が一変するのです。

 

1948年教皇ピウス12世より修道院外居住許可を得ると、神の啓示を実現させるべく行動に出ます。

マザーテレサはカルカッタのスラム街にいる貧しくて学校に行けない子供たちに手を差し伸べるようになったのです。

 

ホームレスの子供たちに無料で授業をするうちに教師時代の教え子が次第に集まり、他の教会や地域の人々から寄付が寄せられるようになるなど支援の輪が広がっていきました。

このボランティア活動がマザーテレサの基盤を作っていったと言えます。

 

そのこと自体も素晴らしいことですが彼女の意志に多くの人が賛同し大きな力になっていったことを考えると、現代の私たちにとっても他人事ではないような気がしてきますね。

 

神の愛の宣教者会の創立、ボランティア活動に従事

“貧しい子供たちのために支援を充実させるためには何をすべきか”を考えていたマザーテレサに1950年転機が訪れます。

修道会の設立許可を得て、『神の愛の宣教者会』を設立することになったのです。

 

この修道会は『裸の人・飢えた人・ホームレスの人・身体の不自由な人・病気の人・必要とされることのない全ての人・誰からも世話をされない人のために働く』ことを理念に掲げています。

これまでは修道女として「シスター・テレサ」と呼ばれていましたが、修道会設立を機に指導者「マザーテレサ」となり立場と責任に変化が表れてきました。

 

1952年にはヒンドゥー教の廃寺院を国から譲り受け、修道会最初のホスピス『死を待つ人々の家』を設立するなどまさに大車輪の活躍を見せます。

ここは別称「マザーズハウス」とも呼ばれ、治療が受けられることはもとより人らしい最期を迎えられる場所として話題になるのです。

 

同時期の日本では戦後の混乱を引きづっていた時期に当たりますが、この時すでに人の尊厳について深く考えられた施設があったということがマザーズハウスがどれだけ先鋭的な理念を持っていたか考えさせられますね。

 

これらのマザーテレサの歩みはカトリック教会に新しい風を吹かせることとなり、『神の愛の宣教者修道士会』『神の愛の宣教者使徒会』などを次々と設立しながら活動の幅を広げていきました。

さらに1969年にはアメリカ人によってドキュメンタリー映画『すばらしいことを神様のために』が制作され、マザーテレサの活動は海を越えた世界中で注目されることとなったのです。

 

これだけのことを成しえるということは単純に慈愛に満ちた女性ということだけではなく、パワー溢れる女性という側面もありそうですね。

 

実際にマザーテレサの残した格言の1つに

『神様は私たちに、成功してほしいなんて思ってません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。』

というものがありますが、まさに彼女の行動的な一面が表れていると言えそうですね。

大人になると失敗した時のリスクばかり考えるようになりがちですが、この言葉が辛口の処方箋として現代の日本の社会人にも響くような気がしてなりません。

 

マザーテレサに与えられた数々の賞

マザーテレサの活動が世界中に愛と希望の大切さを伝えた結果、数々の輝かしい賞を受賞する運びとなりました。

  • 1971年には勲章『ヨハネ23世教皇平和賞』『ケネディー賞』を受賞。
  • 1979年69歳のときには『ノーベル平和賞』を受賞。

 

授賞式の際には「私のための晩餐会は不要です。その費用は、どうか貧しい人々のためにお使いください。」と言ったことは有名ですよね。

 

授賞式には正装で着飾ることなく、普段通りのサリーとサンダルで出席するところにもマザーテレサの確固たるポリシーが感じられます。

またノーベル平和賞の受賞時に記者から世界平和のために人々が何をすべきか問われた時には、「家に帰って家族を愛してあげなさい」と簡潔で真理をつく言葉を残しています。

このノーベル平和賞の授賞式での振る舞いや名言は人々の心を揺さぶり、後世に語り継がれることとなりました。

 

1981年には来日も果たし、その際に行われたインタビューでは貧困と本来の豊かさの意味を語り注目を集めました。

『神の愛の宣教者会』はマザーテレサの死後も信条そのままに活動を続け、現在は4800人以上の修道女たちが活躍しています。

 

その他にも世界123か国で彼女の精神を引き継ぎ、ボランティア活動に汗を流す人がいるのです。

例えマザーテレサが亡くなったとしても想いは生き続け、多くの人々を動かしているという事がどんな賞の受賞よりも大きな彼女の勲章だと思います。

 

マザーテレサの真実の姿はサイコパスで人身売買に関与?4つの黒い噂!

ここまでは一般の伝記で語られるマザーテレサの姿をご紹介してきました。

しかしマザーテレサには死後でも悪評があるのも事実です。

 

1995年に故クリストファー・ヒッチェンズ氏が著書『The Missionary Position: Mother Teresa in Theory and Practice』の中でマザーテレサの活動に批判的な意見を発表してから悪評がくすぶっている状態でした。

再度注目され始めたのは2013年モントリオール大学とオタワ大学の共同研究チームが、マザーテレサに関する287の文献を調査したことに起因します。

マザーテレサの活動に懐疑的な見方を示し、マザーテレサがバチカンの単なる広告塔に過ぎなかったとの考えを発表したことでまた黒い噂が歩き出したのです。

 

主な噂の内容は以下の5点です。

  1. 満足に治療をしない
  2. 極端にケチである
  3. 人身売買をして、黒い人脈からの金銭的援助を受けていた
  4. 人工中絶反対派のジャーナリストを自身の活動に利用

 

詳しく見ていきましょう。

 

①満足に治療をしない

前述のマザーズハウスは、死の直前に温かいスープを口にし身体を清潔に整えられる場所として知られています。

しかし、“助かる見込みのある人を助けようとしなかった”のではないかという仮説が存在するのです。

 

調査によるとマザーテレサに助けを求めた病気の人間の3分の2が医療ケアを求めるも、3分の1は適切な医療処置が行われていないことを理由に亡くなっているというものです。

マザーテレサの活動はインド国内のみならず海外にも広く認知されていたことを加味すると、運営に支障をきたすほど資金がなかったとは考えづらいと思われます。

 

マザーテレサは独特の死生観を持っていたことが指摘されており、重篤なものは自宅で静かに息を引き取ることを推奨していた結果、このような事態に陥ったと推測されます。

 

他方、訪問診察のために訪れた多数の医療従事者が衛生環境の悪さや必要物資の枯渇などの惨状を知り、愕然としていたことが知られています。

 

  • 皮下注射器の使いまわしなどの不適切な医療行為
  • 利用者が排泄物で汚れたタオルを食器を洗うシンクでともに洗う

など、最低限の衛生環境を保証できない施設であったことが、実際に少なくない人から指摘されているのです。

 

このような批判に対し神の愛の宣教者会は否定をせず、マザーテレサの死後には医療体制や衛生管理が少しずつ向上しているという主旨のコメントをしています。

このことからも施設の不備は関係者の知るところであり、事実と言えるでしょう。

 

②極端にケチである

修道女としては終生惜しみなく祈りを捧げ続けていたとされるマザーテレサですが、支援金を払うという形の援助はしなかったと言われています。

インドの大規模な洪水やインド史上最大の化学工場事故として知られる『ボパール化学工場事故』などの際も、現地へ多くの修道女を派遣しお守りを配るなどしたが、資金援助は一切していなかったことが分かっています。

 

この点に関しては、出る杭が打たれてしまった感も否めないとは思います。

修道女の仕事はあくまで宗教を通じて人に貢献することなので、お金持ってるなら払ってくれたらいいじゃないかというのは妬み嫉みの域から出ないかなと個人的には思います。

 

➂人身売買をして、黒い人脈からの金銭的援助を受けていた

2018年7月6日、マザーテレサが創設した「神の愛の宣教者会」の修道女と女性職員の計2人が、子供の人身売買の容疑で逮捕された事件がありました。

「修道会で面倒を見ていた、男の赤ちゃん1人を売った」というだけでなく、そして首謀者はマザーテレサだという噂もあるそうです。

 

マザーテレサが人身売買で儲けたお金は、毎年バチカンに1億ドル~1億5000万ドル(50億~100億円)送金していたとのこと。

赤ちゃん一人あたり19万円で売買していたとされ、マザーテレサが亡くなった時の預金口座には、48億円以上の大金が残っていたとも言われています。

 

また、ハイチの右翼独裁者として知られているジャン・クロード・デュヴァリエ氏から、「レジオンドヌール勲章」を授与された際に献金も受け取っていたことが発覚しています。

「マザー・テレサは生前、悪名高き独裁者と親交があった。ハイチのジャン・クロード・デュヴァリエ(マザー・テレサに1981年、レジオンドヌール勲章を授与した)と、アルバニアのエンヴェル・ホッジャ労働党第1書記だ」https://t.co/MJ2Rkt7HuAhttps://t.co/BKzIQDG8bP

— matrix (@matrix____) July 30, 2019

財団は複数の隠された銀行口座を所有しているものの、金銭の不適切な授受が発覚するのを恐れてか、ボランティア活動に使われてはいなかったようです。

資金援助されたお金を堂々と使用できなかった…ということは、一体何に使われたのかが大変気になりますよね。。。

 

④人工中絶反対派のジャーナリストを自身の活動に利用

人工中絶反対派だったマザーテレサは、同じ思想を持つイギリス人ジャーナリストであるマルコム・マゲリッジ氏を重用することで自分の考えを広めていったことが知られています。

 

1969年マルコム・マゲリッジ氏がコダック社とタッグを組み制作した映画『First photographic miracle(初めて写真に撮られた奇跡)』をきっかけに、マザーテレサが世界中から認知されノーベル平和賞受賞に至った経緯があります。

 

ノーベル賞受賞時の演説でも人工中絶反対の立場を鮮明にしたスピーチを展開していたマザーテレサ。

レイプに起因する妊娠をしたボスニア人の被害女性を例に挙げ、「人工中絶は戦争や殺人にあたる、世界平和を壊す最も大きな要因の1つ」ともとれる主旨の発言をしていたことも有名です。

人工中絶の問題が一筋縄でいかないことは十分すぎるほどに理解できるにですが、

“この被害女性やその家族がこの発言を聞いてどう思いどれほど傷つくことになったのか”

デリケートな問題についての発言だけに心が苦しくなってしまいますね。

 

4点全てが事実だと仮定して考えてみますと、宗教家の女性1人に様々なことをさせすぎて徐々に歪みが大きくなっていった感があると個人的には思っています。

 

危篤状態・飢餓状態の人を想い祈りを捧げるのと医療行為や金銭管理・広報活動などは全て業務内容に求められるスキルがかけ離れています。

これを1人が統括しようとして無理が生じるのは当然のこと。

現代に生きる私たちは彼女の強みや弱さを理解し、後世にフィットする“アップデートされた奉仕の心”を伝えていくことが何よりも重要だと感じますね。

 

マザーテレサも「人間」…抱えていた苦悩とは?

2007年に出版された『Come Be My Light』というタイトルの本が、マザーテレサの内面を吐露した衝撃的な内容で話題になりました。

この本で書かれているマザーテレサの心情の要約は以下の通りです。

  • 奉仕活動を始めてから心の闇があり、全てが死んでしまったかのような気持ちである
  • 大きな孤独を感じており、神への深すぎる慕情ゆえに神を疑わない信仰からさらなる孤独を与えられている。誰かに救われたい。
  • 修道女たちに指導する際、ヒステリックになってしまったことへの悔恨
  • 神から自分が何も求められない人間であることが苦しい

 

この本は神の愛の宣教者会の司祭の1人・ブライアン・コロディエチェク神父によって、マザーテレサが生前に霊的指導者たち(イエズス会神父であるぺリエール大司教、ヴァン・エクセム神父、ピカシー神父、ノイナー神父、ピート神父ら5人)と交わした40以上の手紙を元に編纂された本です。

 

マザーテレサのうつ病を疑いたくなるような精神的に不安定な様子が全編に渡ってみられ、全世界中がマザーテレサの知られざる実像に驚愕しました。

マザーテレサが内面の葛藤を決して表に出さずパブリックイメージを守りながら人生を終えたことは、やはり周囲の環境や自身の立場による配慮が大きいと推測されます。

 

多くの人に聖人として崇めらる立場になったが故に自分の本心を打ち明けられない孤独を抱えていたことは明白な事実。

人を救うことに注力した女性1人を救えなかった事実を重く受け止め、相互サポートすることでより円滑な未来が築けるように後の時代に生まれた我々は努力していかなければなりませんね。

 

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