テレサテンの死因に暗殺とスパイ説?死顔画像や葬儀の謎とは?

台湾出身でありながら『時の流れに身をまかせ』などの曲目が大ヒットし、紅白歌合戦にも出場するほどの人気ぶりだったテレサテン氏。

“アジアの歌姫”と呼ばれるほどの人気ぶりで“香港10大スターの1人”にも選ばれており、日本以外にもマレーシア・タイなどで大人気の女性シンガーでした。

テレサテンは42歳という若さで急死しますが、その死因は死亡直後から議論の的でした。

今回はその死因として4つの説をご紹介します!

 

また衝撃的なテレサテンの死顔写真について、最後の恋人であるステファン・ピエール氏のその後やテレサテンの葬儀・お墓についてもリサーチしました。

歴史の闇に翻弄された、アジアを代表する伝説のシンガーの過去を一緒に紐解いていきましょう。

 

テレサテンの死因に暗殺説が?4つの可能性を考察

1995年5月8日、テレサテンは42歳の若さでこの世から旅立つことになりました。

死亡の約1か月前からフランス人の恋人であるステファン・ピエール氏とともに、空気の良い所で保養することを目的にタイのチェンマイに滞在していたことが分かっています。

1泊1200$とも言われていたプライベートルームでゆっくり過ごしていたとされますが、突然チェンマイ市内のラム病院に緊急搬送されたテレサテン。

搬送途中の救急車の中でそのまま急死してしまったことから、死因については様々な憶測が当時から飛び交っていました。

では「何故テレサテンが亡くなったのか」を4つの説を比較することで考えていきましょう。

 

テレサテンの死因説1:暗殺とスパイ

死因についての推測の中でパンチがある説として“テレサテンスパイ説”があります。

歌手はあくまで表の顔であって、本業は台湾に他国の軍事事情を提供するスパイだったのではないかという説です。

 

「諜報活動を辞めたい」と考えていたテレサテンが、仲間うちから秘密裏に暗殺されてしまったのではないかという推測。

タイの奥地に棲む国民党の残党を探る任務に就いていたのではないか、という推測があります。

 

「映画にありそうな話だけど、そんなことありえる?」と私は初めて聞いたときは耳を疑いました(笑)

実際のところ都市伝説として囁かれているだけで、確固たる証拠はありません。

 

このような噂が出る原因の1つとして考えられるのは、テレサテンが政治利用されていたからだと考えられます。

台湾国民党が反共産党宣伝の広告塔としてテレサテンの立場を利用しており、

中華人民共和国の統治区域に向かって、隣接する金門島からテレサテンの音楽を大音量で流すなどの抗議活動を行っていました。

 

このころからテレサテン自らが政治活動に注力し本業でマイクを握る機会が減っていったため、

台湾国民党のスパイとして対中工作を行っていたのでは?という疑いをもたれてしまったというわけです。

 

中華人民共和国と台湾の難しい関係性に巻き込まれたテレサテンだからこその憶測と言えますね。

 

 

テレサテンの死因説2:喘息


ラム病院でのテレサテン氏の担当医であるスメット・ハンタクン氏は“死因は気管支喘息”と断定しています。

「亡くなる前年の1994年12月にも激しい発作を起こし一時危篤状態だった」とスメット・ハンタクンが話しており、亡くなる前の2月上旬に風邪で体調を崩していたことも分かっています。

 

テレサテン自身体調に不安を覚えたため療養していたという事が分かりますね。

不運にもテレサテンを乗せた救急車が渋滞に巻き込まれ、30分後に病院に到着した際には息を引き取った後だったことから医療診断書も発行されています。

 

さらに兄のフランク・テン氏も「9歳のころから喘息だった」と証言しています。

喘息の薬には長い間吸引しているとしばし突然死を起こす可能性があり、『長時間作用性β2刺激薬』と呼ばれます。

 

これはステロイド系の薬を伴わずに服用すると、喘息が悪化することが今では知られています。

幼いころからこの薬を服用していたならば、突然亡くなる可能性は十分にあります。

 

さらにステファン・ピエール氏はヘビースモーカーで、テレサテン自身も喫煙者であったことが分かっています。

喘息の患者は受動喫煙も含め、タバコはご法度ですね。

その点から療養で訪れたホテルで少しずつ命を削っていった可能性が考えられます。

 

ただこの説については懐疑的な見方を示している人もいます。

台湾でのテレサテン氏の相談役だった左宏元氏は、「テレサテンは練習時マイクに口をつけて歌っていたが、喘息を疑うような呼吸音が聞こえたことなどない。」という証言をしています。

 

やはり司法解剖を行っていないので断定は難しいですが、総合的に現時点で最有力の説であります。

 

テレサテンの死因説3:エイズ(性病)

テレサテンの地元である台湾の『民生報』や香港の『電視日報』は、死因を“愛滋病(エイズ)”ではないかと連日報じていました。

もともと香港の映画監督との同性愛が報じられていて、テレサテン本人が2人の関係を否定しなかったことから、頻繁にエイズを疑う噂が流れていました。

 

タイ当局が急死理由を知るために司法解剖を要求しましたが、テレサテンの家族がこれを拒否したことからもその噂に拍車をかけた側面があると思います。

 

テレサテン氏の担当医スメット・ハンタクンが“死因は気管支喘息”と断定したことを受け、その後エイズ説は消えていくことになります。

この説も証拠不十分な憶測だという認識で問題ないでしょう。

 

 

テレサテンの死因説4:薬物・麻薬

テレサテンの死因で“薬物・麻薬”の可能性が疑われることになったのは、恋人であるステファン・ピエールの行動にあると見られます。

 

どこに行くにも行動を共にしていたと言われている2人ですが、夕方ステファン・ピエールが宿泊先から単独行動をとる時間がありました。

1人宿泊先の近くにあるナイトバザール内の屋台に足繁く通っていたことが目撃されています。

この屋台を利用していたのが外国人観光客ばかりであることと、その外国人たちが店員に何か話すとバイクで20分ほど姿を消しタバコのようなものを客に手渡していたことが確認されています。

 

のちほどの調査で分かったのですが、この屋台は麻薬組織の末端ルートにあたり、タバコのようなものはおそらく外国人をターゲットにした麻薬であったということでした。

ホテルのルームボーイには、「テレサテンの部屋の清掃をしているときに強い大麻の臭いを感じた」と証言している者がいます。

 

この点から考えて、少なくともステファン・ピエールは麻薬中毒者の可能性があることがわかります。

ではなぜこの件について追捜査されないのでしょうか?

 

これにはホテル側が隠蔽に加担した可能性が指摘されています。

現に大麻の件は従業員に箝口令が敷かれていたことが後に明らかになっています。

それでいてテレサテンの死亡後、ステファン・ピエールの動きに注視するよう従業員に呼び掛けています。

 

ホテルサイドからすると、大麻の使用について責任が問われる状況を避けたいというところでしょうか。

ステファン・ピエールがテレサテン氏の死亡直後すぐに病院に向かわずホテルに滞在していた時間があったとのことですが、これは薬物の処分のための時間ではないかと見られています。

 

ただこの説に関しては、テレサテン自身の薬物使用は裏付ける情報がありません。

 

どちらかというとステファン・ピエールが大麻を使用した際に、

部屋を閉め切り煙を充満させながら体温が上昇するのを抑えようと、

冷房をかなりきかせていたことの方がテレサテンに影響を及ぼす可能性が高いと考えられます。

 

喘息持ちの人に煙が充満する環境はタバコ同様タブーな環境であり、重篤な喘息は冷気を吸い込むなどの行動でも発作が起こる可能性があります。

この点からステファン・ピエールの大麻使用がテレサテンの死をアシストしてしまったのではないかと考えられるのです。

 

 

テレサテンの死顔画像に不可解な点が?死体は冷凍処理された?

モラルの面から見ても受け入れがたい事実ですが、テレサテン氏の遺体の写真がネット上に出回っています。

ばっちり顔が分かる角度から撮られていることにもビックリですね。

 

見るとただただ複雑な気持ちになりますが、安らかに眠ってほしいと切実に思います。

葬儀は日本・台湾で主流である火葬ではなく、エバーミングを施された土葬によって執り行われました。

 

エバーミングとは遺体内の細菌の増殖を抑えるために、洗浄・殺菌・消毒を行い血液に代えて防腐剤を入れる方法です。

そのため遺体を美しいまま長期保存でき、HIVを始めとする感染症を防ぐことが出来る方法と言えます。

 

ちなみに台湾では現在土葬は一般的な方法ではありません。

もともと土地が狭いため土葬用の土地を手に入れるには莫大な資金が必要なことや手続きが複雑なこともあり、財閥や高官などの地位のある人のみ土葬を選択するのです。

 

台湾で同様の方法がとられたのは、蒋介石とその息子3人だけであったことからも異例中の異例であったことは明らかと言えます。

そのような背景を考えても、テレサテンへの人気ぶりが伺えますね。

 

 

テレサテンの元恋人ステファン・ピエールの現在(その後)は?

テレサテンが亡くなった時にステファン・ピエールが不在であったことから病院への搬送が遅れたという側面があります。

それが理由でテレサテンの兄フランク・テンはステファン・ピエールに激しい憎悪をぶつけていたことが知られています。

 

葬儀への出席をなんとしてでも阻もうと試みていたとされますが、テレサテンの弟ジム・テン氏の説得で最終的には出席を許可されたのです。

ただ、ステファン・ピエールは結局葬儀には姿を現しませんでした。

 

テレサテンの弟ジム・テンがステファン・ピエールの宿泊するホテルに確認を取ったところ、泥酔していたことが分かっています。

悲しみが強すぎて呑まずにはいられなかったのかもしれませんが、もうちょっと出来たことがあったのではないかと個人的には思ってしまいますね。

 

ステファン・ピエールはテレサテンの死後2週間ほどテレサテン所有の香港の別荘に住んでいたことが分かっていますが、

この別荘を自分へ譲るように要求しテレサテンの家族の逆鱗に触れていたようです。

 

ちなみに、この時の世話役の給料などを含む諸経費は全てテレサテンの財産から出されたことが明らかになっています。

香港滞在中、ジム・テンとステファン・ピエールの間で話し合いがもたれステファン・ピエール自身の人生を歩むよう諭されフランスに帰国しました。

 

帰国後も両者の間で連絡は取り合われましたが、徐々に音信不通になっていたことがジム・テンの証言で分かっています。

その間一度もテレサテンのお墓にステファン・ピエールは足を運んでいないようです。

 

ステファン・ピエールがどんな想いでテレサテンと付き合っていたのかは本人しかわかりません。

1989年~1995年まで人生を共にした2人の最後がこれで本当に良かったのかと誰もが思ってしまいますね。

 

 

テレサテンの葬儀の様子とお墓の場所は?

スーパースターであるテレサテン氏の葬儀のために、『台湾政府葬儀委員会』が急遽発足しました。

1995年5月28日の葬儀にはアジア各国からファン3万人以上が台北市第一殯儀館に訪れ、悲劇の歌姫との最後の時間を過ごしました。

 

棺は中華民国(現・台湾)の国旗と国民党の党旗で覆われるという異例の待遇で、その規模と扱いはまさに国葬クラス!

いくら国民的歌手のためとはいえ、その壮大さには圧倒されてしまいますね。

 

現在テレサテン氏が眠っているお墓は台北市から車で約1時間ほどかかる、金宝山墓地にあります。

 

 

お墓の前の広場には、テレサテンの像やピアノを模したオブジェがありピアノから音が出る仕組みになっています。

お墓の入り口にはセンサーが感知するとテレサテンの曲が流れるようになっており、テレサテンのファンがいつでも思い出に浸れるように作られているのです。

 

この墓地には今でも多くの人が訪れ、『テレサテン記念公園』とも呼ばれています。

テレサテンのお墓についてですが、墓碑と棺の覆いには南アフリカの大理石を使用しており棺にはバラをモチーフにした彫刻が刻まれています。

 

墓石の上から聖マリアが見守っている形に作られており、テレサテンの大ファンという方が毎日ボランティアでお墓を綺麗にしていることからも整った環境になっています。

短命かつ壮絶な人生を歩んだテレサテンですが、今は穏やかにほっとした気持ちで過ごせているのではないでしょうか。



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